当時の日本社会党の左派や新左翼諸党派の批判
共産党のこの認識は、用語を変えながらも基本的に変化していない。これに対して、当時の日本社会党の左派や新左翼諸党派からは、「米国から自立した日本帝国主義の存在を無視する論である」とか、「社会主義革命を永遠の未来へ押しやるための口実である」といった批判がなされてきた。この“社会主義は遠い”という認識は、下巻22ページにはっきり出ている。
民主主義革命から社会主義的変革への移行は、国民多数の意思を決定的な条件とし、そのことを抜きにした自動的過程ではないと表明されました。しかし、こうした「二段階連続革命」論が、当面する民主主義的変革の課題に国民多数を結集するうえで、一つの問題点をはらんでいたことも、事実でした。
2004年の綱領改定では、連続革命的にとられる規定は、すべて削除しました。誤解の余地なく、段階的発展の立場を明瞭にしました。(中略)
「共闘にとりくんだら、いつの間にか、日米安保条約の廃棄や社会主義にまで連れていかれた」ということには、決してしてはならないし、そうしたことには絶対にならない、というのが、わが党の確固たる立場です。
(『新・綱領教室 下』)
最初の一文、「民主主義革命から社会主義的変革への移行は、国民多数の意思を決定的な条件とし、そのことを抜きにした自動的過程ではない」とは裏返せば、「国民多数の意思」がないうちは社会主義革命には連続していかないということだろう。その意味で、社会主義をはるか彼方に置いているのだ。
革命政党に生じたねじれ
志位氏のこの見解は、1899年に発表されたドイツの社会主義者ベルンシュタインの論文「社会主義の諸前提と社会民主主義の任務」を想起させる。ベルンシュタインはドイツ社会民主党および第二インターナショナル右派の理論的指導者として活躍した人物だ。この論文はマルクス主義の修正を唱え、議会主義に基づく漸進的な社会主義を主張したことから激しく批判された、修正主義や改良主義の典型になったものである。
ベルンシュタインは「運動がすべてであり、究極目標は無」と述べた。対して、志位氏の解説をごく簡略化して言えば、運動がすべてであり究極目標ははるか彼方にあると言っているに等しいのではないだろうか。無とは言わないまでも、究極目標をはるか彼方に持っていき、改良主義に転換したいと考えているのだろう。そのために、共産主義革命を目的とするはずの革命政党にねじれが生じてしまっている。社会主義革命は資本主義からの断絶であるのに、志位氏は連続性のほうが強いと考えているようだ。これはかつて日本共産党が断罪した構造改革論の立場だ。