苛烈化する「お受験」ブームの背景心理

いま都心部の親たちの間では、わが子を学習塾に入れて手厚い教育投資をして、私立中学や一貫校に入れることがブームになっている。

これは「都会人の学歴マウントの虚栄心」などとしばしば揶揄やゆされることもあるが、しかしそれだけではないだろう。「子供にちゃんとした上質な教育を受けさせなければ親としての責任を果たしていない」という倫理的責務の高まりの側面も見なければならない。

ちゃんとした教育を受けさせ、ちゃんとした大学に通わせ、ちゃんとした就職ができるように面倒を見るのが、親として「当たり前」にやるべきことになってしまった。子供が独り立ちするまでの期間がむかしよりずっと長く難しくなり、子供がその間に挫折しないように細心の注意を払う必要が出てきてしまった。それに失敗した事例として「こどおじ(≒子供部屋おじさん)」や「親に暴力を振るう中高年引きこもりニート」などがメディアやSNSで紹介され、若いカップルの恐怖感をますます搔き立てる。

昭和の時代はもちろん違う。そもそも大学進学率も塾の普及率もいまと比べれば低く、放課後の子供たちは遊び呆けていた。中学や高校を出ればそのまま就職して(ほとんど家を追い出すような形で)独り立ちさせ、それで親としての責務はコンプリートされていた。「子供の将来」「子供の教育・進路」という観点についても、やはり親に求められる社会的・経済的・倫理的ハードルはずいぶんと低かったのである。