「子だくさんのヤンキー家族」が示していたもの
子供をポコポコとつくる多産な家族――と聞けば、多くの人が「田舎のヤンキー」を想像するだろう。
平成期には地方都市でよく見かけていたようなかれらも、令和の時代にはずいぶんと数を減らしてしまったが、かれらにはたしかに多産傾向があった。かれらがなぜ多産であったのかを考えると、現代の都会人たちと異なり、この「恐怖感」との距離が大きくあったからだ。わかりやすくいえば「子供をちゃんと育てられなかったらどうしよう/子供がちゃんと育たなかったらどうしよう」というリスク感覚がかれらは相対的に希薄であったということだ。
これは「田舎のヤンキー」だけではなく、昭和の時代の人びとにも共通していただろう。かつての時代の人びともまた「もしも私たちがちゃんと育てられなかったら……」「この子がちゃんと育たなかったら……」といったことを考えなかった。言葉を選ばずにいえば、子供の命や人生のことを、いまとは比較にならないほど「雑」に扱っていたのである。
世間の人びとは、自身が由緒正しい生まれでもないかぎり、子供のことを「適当」に産んで、「適当」に育てても、別にそれでよかったのである。一日のうち、日中はそれこそ野に放ってその辺で友達と適当に遊ばせておいて、家に帰ってきたらありあわせの適当な飯を食わせて寝かせ、近所の学校に適当に行かせ、卒業して適当なところに就職させれば、それで十分に「親」の責務を果たしていたと自他ともに認めることができた。
いま都内の公園に出かけると、そこで遊んでいる子供たちには親が必ずといってよいほど同伴している。公園に集まった子供たちだけで(そのときが初対面の子供同士だろうがあまり関係なく)遊ぶといった光景は見なくなり、「親‐子」のペアが複数存在し、それぞれがバラバラに遊んでいるのである。もう見慣れてしまったが、最初は違和感がすさまじかった。私が子供のころにはまったくありえない光景であったからだ。私は生まれ育ちも都会なので「公園で子供同士が遊んでいるのは田舎だけ」ということではないことは知っている。これは最近になって生まれた光景だ。
いまの世の中では、小さな子供たちだけで公園に遊ばせたりすることが推奨されない。なにかの事故や犯罪に巻き込まれてしまうことを憂慮しているからだ。親たちもその雰囲気に従って、文字どおり「保護者」として公園に同伴している。こうした慣習は屋外活動中の子供たちの安心安全には貢献しているだろうが、これが「倫理的責務」が親として当たり前のように組み込まれている光景は、親をやることの「恐怖感」を高めてしまう。
昭和の時代には子供が無謀で危険な遊びをしたせいで死んでしまうような事故があったり、あるいは通り魔から危害を加えられたり、誘拐されたりといった物騒な事件もいまより多かった。令和の時代にはこうした事件事故の犠牲になる子供はめっきり見なくなったが、その代償として「親を適当にやる」ことは、けっして許されなくなってしまった。