喜びや楽しさよりも「恐怖」がまさる時代

現代社会の妙齢男女のカップルは、子供を持つことについて「喜び」や「楽しさ」の期待よりも、「不安」もっといえば「恐怖」の感情がそれらを上回るようになってしまっていることだ。

「子供を持つ」というライフイベントを経ることによって、自分たち夫婦に必然的に共起するさまざまな不確実性や倫理的責務――ひと言でまとめれば「リスク」――を想像すると、それがいまの安穏とした暮らしを手放すに値する営為であるとは、とてもではないが思えなくなってしまっている。

楽しく子育てをする幸せな家族
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「子供を“ちゃんと”育てなければ、親として失格だ」と世間から糾弾されてしまう。しかもその「ちゃんと」のハードルは年々上昇している。子供の安心安全健康な暮らしに十分配慮しなければならないのは当然として、高い水準の教育を十分に受けさせてあげなければならないし、コミュニケーション能力の高い社会性のある子供に育てなければならない。一人前の親になるためにやらなければならないこと、満たさなければならない要件は、ますます増えている。

あるいは、親である自分がどれだけ「ちゃんとした親」をやろうといくら苦心したとしても、もし自分の子供が「ちゃんとした親」を完遂するのがきわめて困難になってしまう、なんらかの特質を備えていたとしたら? ……そんなことをあれこれと考えてしまうと、子供を持つことが「とてつもないリスクであることが分かり切っているのに、それを自分からあえて抱えにいく非合理的で愚かな行為」のように思えてきてしまって、子供を持つという決断にためらいが生じる。

先進的で高度な情報社会に生きる現代の都会人たちは、たしかに昭和の時代の人びとよりもさまざまな面で「賢く」なったかもしれない。しかし皮肉なことにその「賢さ」のせいで、かつてないほど「恐怖感」に敏感になってしまった。