なぜ日本は「産まない社会」になったのか。推計値より10年以上も早く出生数が80万人を下回った日本は前例のない少子化社会に突入する。文筆家の御田寺圭さんは「高まりすぎてしまった“ただしさ”のせいで、日本人は産むのが不安で怖くなった。私たちはこの世にもっとたくさん生まれてくるはずだった子供たちを間接的に殺してしまったのかもしれない」という――。
スポットライトを当てられた妊婦のシルエット
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「子供のいない社会」

読者の皆さんもご存じのことだと思われるが、2022年の出生数がついに80万人を割り込んだ。もちろん統計開始以来はじめてのことであり、推計値よりも10年以上早い結果となった。ここから日本は、前例のない少子化社会に突入していくことになる。

とても残念なことだが、日本はもはや「国」という形では存続していくことが難しいのかもしれない。あるいは、どうにか騙し騙し持続できたとしても、いまこの国に生きている人びとにとって見知った愛着のある姿形の「日本」とは、まるでかけ離れた様相に変わってしまうのかもしれない。

いずれにしても、この国にとって最後の人口マス層であった団塊ジュニア世代が20代から30代にかけての子育て適齢期に再びのベビーブームをつくることができなかった時点で、国が思い描いていた「人口動態の逆転」という大きな物語は終焉しゅうえんを迎えてしまっていた。私たちは薄々分かっていただろうが、気づかないふりをしていた。けれども、もう誤魔化すことはできないだろう。私たちは、子供のいない、そしてこれからも増えることのない社会に生きているのだ。

子供がたくさんいた昭和

ベビーブームが幾度もあった昭和の時代、なぜ人びとは子供をいまより多くつくっていたのだろうか?

避妊の技術や意識が低かったから? 結婚して子供を持たなければ一人前ではないという世間的な同調圧力がいまより強かったから? それらだけでは、とても説明しきれないだろう。

令和の時代に深刻化する少子化について「子供をつくるのに十分なお金がないから」というのが定番の要因として挙げられているが、これもおかしな話だ。というのも、昭和の時代の人びとは、当然ながらいまよりずっと物質的に貧しい時代を生きていたからだ。にもかかわらず、それでも子供はいまより多く生まれていた。

「子供」にかんして、昭和の時代と令和の時代を比べてみると、統計的な数値には表れない、決定的な違いがひとつある。