終戦の日に見た忘れられない光景
しかし、突如として渡辺の運命は好転する。入隊から一カ月あまり経った一九四五(昭和二〇)年八月一五日、憎しみを募らせた戦争が終わりを迎えたのだ。終戦二日前の八月一三日からの状況を、渡辺はこう述懐する。
「不思議なことに、除隊命令が八月一三日に出た。理由は分からない。要するにもう負ける、降伏するということを軍の幹部は分かっていたんだろうね。一度に除隊すると混雑するから、一三日から帰らせ始めたんじゃないか。『まず自分の家に帰って、私物を持ってこい。ボタン一個もやらん、ふんどし一本だけやる。あとは全部軍に置いていけ。自宅に帰って私服を持ってこい』と言われた。それで家へ帰って、私物を持って兵舎に帰って、一三日と一四日の夜は兵舎で過ごす。
そして一五日の朝に出される。茅ヶ崎駅から電車に乗って、二駅目か三駅目かの駅で突然電車が止まって『全員降りろ』と。降りたら終戦の詔勅だ。天皇が〔ラジオで〕何か言っているが、何を言っているか誰も分からない。分かったのもいたらしいが、俺は聞こえなかったね。それでまた電車に乗ったら、軍人はみな一言もしゃべらない。東京駅で降りると、ジャンジャンと鐘が鳴って、号外の鐘だよ。見たら『戦争終結の大詔渙発さる』と書いてある。
何だ、終戦の大詔というのは。要するに負けたということじゃないか。それで万歳と思ったね。『これで助かった』と思ったら、それまでの緊張と空腹、軍隊で三度三度の飯は麦飯を茶碗に半分だ、おかずなし、具のないみそ汁だけだ。だから栄養失調になってた。負けたというんで、緊張が解けてふらふらとなってね、歩けなくなったよ、東京駅で」
終戦当日の「シラミ殺し」の快感
東京駅で終戦の報に接した渡辺は、そのまま「這うように」電車に乗り、千葉県小櫃村(現君津市)に疎開していた母親の元に向かった。少年時代から嫌悪し続けた戦争の「垢」が、物理的にも精神的にも落ちていくかのような体験を、渡辺は笑顔を交えながらユーモラスに語った。
「這うようにして母の疎開先にたどり着いて、やっと白い飯食って、風呂へ入った。体はシラミだらけだ。もうシラミを煮てもらったよ。洗面器に熱湯を入れてね。ざまぁ見ろと思ったね、シラミ。これでみんな茹って死んじまう。本当にこの野郎、かゆい、参ったよ。軍隊っていうのは、ひどいよ。夜寝ると何万匹というシラミがね、じわじわじわじわ、這って入ってくるのが分かるんだよ。いちいち潰していられない、何万匹もいるんだから。もう軍というのはひどいところだよ、何から何まで」
――憎きシラミを煮て殺したときが、御自身の中で一つのけじめだったのかもしれないですね。
「そういうことだね。快感だったよ。シラミ殺しの快感。そんなの今の人は誰も味わったことないだろうね、シラミを殺す快感は」