交響曲第六番の最終章であるこの楽章は、哀調を帯びたロ短調の抑制的なトーンで始まる。曲調は次第にテンポを高潮させながら激しいクライマックスを迎え、やがて静寂と寂寥の中に消えるかのように終わっていく。人間が人生の中で抱く絶望、悲嘆、恐怖、苦悩などの感情が激しく発露されているかのような曲である。
母からもらったお守りは焼き捨てた
「九九パーセントの戦死」を覚悟し、「絶望的な死への旅路に出る」つもりでいたという渡辺は、この激しく哀しい調べに自らの運命を重ね合わせたのだろう。渡辺は「最後の夜」と題したこの日の日記に、時代に翻弄され、消えゆこうとしている自らの運命について、痛切な思いを綴っている。
「一箇の運命が、悶え、喘ぎ、絶望し、夢想し、さうして遂に滅亡して行く。それが、俺の運命であらうとも、その滅び行く運命が、一体何の意味を主張し得るか。俺は知らねばならぬ。そして俺はやがて知るであらう。……俺の断末魔の時を」
そして、母親が神社で渡辺のために授かってきたお守りを全て、後輩たちと共に火鉢で焼き捨てたという。
「おふくろは一〇何体のお守りを一〇何社の神社へ行ってもらってきてね、『武運長久』と書いてあるあれだ。それを火鉢の中で、おふくろに内緒でみんな焼いちゃう。こんなものが、くそも役に立つわけない。こんな紙切れ、武運長久なんてばかばかしい。みんなくべて焼いたよ。死ぬ覚悟をはっきりさせるためだね」
理由なく先輩に殴られる、軍隊で経験した暴力の連鎖…
陸軍二等兵として渡辺が入隊したのは、東京・三宿に兵舎を置く砲兵連隊だった。相模湾から上陸すると想定されていたアメリカ軍を、砲弾で迎撃するという任務を帯びていた。入隊した渡辺は、理不尽な暴力に直面する。
「ひどいもんだよ。理由なしに兵営の後ろに引っ張り出して、それで『ビンビン』と〔平手打ちを〕やるわけだ。『股を開け』と言われてね、すっ飛んじゃうから。それだけやるのよ。理由ないんだよ。俺は二等兵だから、殴るのは一等兵か、上等兵か、軍曹か伍長だろうと思うでしょ。そいつらは殴らないの。俺を殴るのは、半年先に入った二等兵だ。
何で彼はそういうことをやったかというと、おそらく半年前に自分がやられたんだろうね。だから、自分より後輩が来たら、殴らなきゃ損だという感じじゃないかね。他のやつも、一等兵が丸太を二、三〇本積んだ上に正座させられているのを見たがね、丸太の上に正座したら、あれは痛いですよ。歯を食いしばってその拷問に耐えているのを見たよ。ああ、軍隊はこういう所かと思ったね」
実は渡辺は、密かに兵舎に三冊の本を持ち込んでいたという。その中の一冊が、前述したカントの『実践理性批判』である。さらに持ち込んだ二冊は、イギリスの詩人ウィリアム・ブレイクの詩集と、研究社の英和小辞典だったという。