※本稿は、勢古浩爾『脱定年幻想』(MdN新書)の一部を再編集したものです。
偽りの希望の言葉に騙されてはいけない
自分の言葉は自分をしばる。だからできるだけ、ウソはつかないほうがいいのである。適当なこともいわないほうがいい。しかしここでいいたいことは、そのことではない。人をたぶらかそうとする、もっともらしい公の言葉に、騙されないように(しばられないように)ということである。
定年本や老後本を開けば、たいてい「豊かな生活」とか「充実した人生」とか「成長しつづける」などの、偽りの希望の言葉が書かれている。しかし、こういうもっともらしい言葉がじつはよくない。これらはだれもが望むような言葉である。そのための方法を求めて、人は本を読むのである。
だがそのなかに、なにが「豊か」でなにが「充実」なのかが書かれていることは少ない。ほとんどない、といっていい。希望を示すような言葉だけが、しばりとなってわたしたちに残るだけである(それはなにか、を自分で考える人はいるだろう)。
映画『セックス・アンド・ザ・シティ2』で、ある中年妻が夫にいう。当然、中年男である。「わたしたちはキラキラした人生を送るべきよ」と。あっちもおなじなんだな。「キラキラ」の原語はたしか「スパークリング」だったか。
「こうすれば老後は豊かになる」は本当か
なかには、老後のいまが一番楽しい、なんていう人もいる。わたしはこんなに楽しい老後をおくっている、人生は充実している、あなたもわたしみたいにこうすればいいですよ、というのだろうか。そりゃよかったね、というほかはない。
「いい人をやめれば人生はうまくいく」という人もいる。そんなばかな。人生がうまくいく方法などどこにもないし、それを知っている人など、この世にひとりもいるはずがないのである。
人生に「こうすればこうなる」なんてことはない。それはインチキビジネス書や成功本の幼稚な手口である。だから、こうすれば金儲けができる、成功する、雑談力があがる、老後は豊かになる、人生は充実する、輝く、なんてことはないのだ。
まあ、毎日酒浸りの生活をつづければ、体を壊し、いずれ死ぬぞ、ということはあるだろうが。人生にあるのは「こうするつもり」とか「やってみせる」という意志だけである(もちろん、その意志も大半は通らない)。