SNSに渦巻く憎悪の念
贔屓にしている選手やチームがこちらの期待を裏切って敗戦を喫したとき、誰しも落胆するだろう。得られるはずの高揚感がはしなくも雲散霧消すれば、不貞腐れることもあろう。お預けを食らったときにモヤモヤするような、このネガティブな感情を消化しきれず、やがてそれが外に向けて暴発して「バッシング」へと至る。
興奮状態にあるこのからだを理性で制御するのは、きわめて難しい。叱咤激励という範疇を超え、誹謗中傷が飛び交う。この事態を引き起こす最たるものがSNSである。
TwitterやYouTubeなど、匿名で発信できるそれはネガティブな感情の吐け口として今や格好のツールだ。何気ない不満の発信であっても、同じようにネガティブな感情を抱える人たちがそれに重ねて投稿し、いつしか増幅する。広野に放った一火が瞬く間に燃え広がるように、憎悪の念が渦巻いてゆく。
ここに「犯人探し」の思考が入りこむと、憎悪の塊が特定の人物に向けられる。これはまさに「呪詛」である。かつての社会では恨みを晴らす方法として呪術がさかんに行われていたというが、ここから推測すればSNSは現代版の呪術のステージになっている。
SNSでの批判は草葉の陰から石を投げるようなもの
呪いの言葉は人から活力を奪い、ときに命を奪うほどの殺傷力を持つ。とくに匿名からのそれは正体がわからないだけに破滅的な事態を及ぼしかねない。
名を名乗らず感情を剥き出しにした発信は、草むらの陰から石を投げつけるようなものである。この「石」は決して比喩ではない。ぶつけられれば血が流れる物体として実在する。だからSNSを利用する際にはしかるべき節度が求められるということを強く自覚しなければならない。「SNSなんて仮想空間における言葉遊びじゃないか」と高をくくる態度は、極めて危険なのだ。