W杯で強豪国を次々破ったサッカー日本代表
サッカーW杯カタール大会で、日本代表はノックアウトステージに進出した。初戦でクロアチアに敗れはしたものの、グループステージでは強豪国のドイツとスペインを破った。高校3年時に「ドーハの悲劇」を目の当たりにした私にとって、ベスト8を逃して本気で悔しがる関係者やファンの姿には、隔世の感すら覚えた。
思い起こせばこのW杯は、劣悪な環境下でのスタジアム建設や、同性愛者をめぐるカタール政府の対応など、ピッチ外の出来事に注目が集まる大会でもあった。
招致から開催までに人権侵害が横行するこの事態は、2021年の東京五輪を彷彿とさせる。サッカーW杯においても、莫大なマネーと政治的な思惑に翻弄されるスポーツビジネスの実態が白日の下に晒されたわけである。
ことが人権侵害だけに、決して目を逸らしてはならない由々しき事態である。だが、この問題については他のメディアで言及したのでここでは取り上げない。
日本代表チームの奮闘および人権侵害への抗議行動を除き、この大会で私がもっとも印象に残っているのは「選手へのバッシング」である。
なぜ「過剰なバッシング」をしてしまうのか
グループステージ2試合目のコスタリカ戦(0-1で敗戦)後に、特定の選手への誹謗中傷が飛び交った。続くスペイン戦の勝利でその印象が薄れたが、スポーツの健全なあり方を考えるうえでは看過できない事態である。
とくにDF伊藤洋輝選手へのそれがひどく、ネット上には消極的なプレーを切り取った動画が拡散した。プレーの良しあしを批判するならまだしも、人格攻撃とも取れるその内容には胸が苦しくなった。クスッと笑えるヤジならスポーツを楽しむうえでのエッセンスになるが、感情むき出しで憎悪が入り混じるその物言いには思わず目を逸らしたくなる。第三者ですらそうなのだから、当事者である伊藤選手の心中は察するに余りある。
スポーツの応援は往々にして過熱し、ときにバッシングすら起こる。それはなぜなのか。