子育て以外にも「婚姻」や「家族」の意義はあるという考え

子どもを産み育てること以外に「婚姻」や「家族」の意義を見いだす見解も今日では説かれている。「独立した個人という理念そのものが非現実的で、達成しえない(私は、あえて“望ましくない”とさえ言おう)前提を土台にしていると言える」「依存状態とは、病的な避けるべきものでも、失敗の結果などであろうはずもなく、人類のあり方の自然なプロセスであり、本来、人の発達過程の一部である」(マーサ・A・ファインマン『ケアの絆 自律神話を超えて』岩波書店、2009年、28ページ)という人間観を基礎に「ケアの絆」の保護を唱える見解が代表的だ。

「ケアの絆に着目した保護や支援という考え方に基本的に賛同」する憲法学者もいる(例えば、斎藤笑美子「親密圏と『権利』の可能性」ジェンダー法学会編『講座ジェンダーと法 第4巻 ジェンダー法学が切り拓く展望』日本加除出版、2012年、86ページ)。血縁があろうがなかろうが、生殖可能性があろうがなかろうが、男女のカップルだろうが同性のカップルだろうが、もっといえばカップル以上の複数の人間の集まりだろうが、そこに「ケアの絆」があればそれを「婚姻」や「家族」として承認しようという見解である。

「変わってしまう」という岸田答弁は的外れではない

こうした見解についてここで言えることは、それを憲法上の「婚姻」や「家族」としたいのであれば、現行憲法24条の文言や従来の解釈から著しく離れるので憲法改正が望ましく、憲法上の「婚姻」とは別の何らかのパートナーシップ制度を作るのであれば、そのことまで憲法24条は禁止していないだろうということだけだ。

同性婚法制化を「家族観や価値観、社会が変わってしまう課題」とした岸田首相の答弁は正しいと言える。「変わってしまう」ことの善しあしは別として「変わってしまう」のだ。

そこで求められるのは、現行憲法や民法の理解を踏まえた議論である。そもそも「同性婚の自由」なるものが、「婚姻」や「家族」の従来の意義からして観念しうるのかから問われねばならない、原理的問題である。

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