国家が保護を意図した婚姻の「意義」
男女のカップルと同性のカップルの違いが生殖可能性の有無以外に見いだせない以上、そこから法的婚姻制度の目的を考える必要がある。同性カップルであっても、男女のカップルと同様、デートをしたり、共同生活をしたり、結婚式を挙げることは自由である。それらは憲法13条で保障されている。そうした権利保障の上に、憲法はさらに法的婚姻制度をもって男女のカップルのみに一定の法的効果を付与して保護しているのである。
それは生殖可能性のある男女のカップルが子どもを産み育てることに着目し、それを保護しようとしたからである。国民国家においてその諸制度を維持し、社会を継続させていくためにも次世代の再生産という課題を国家が促進するのは当然である。しかしそれを中心的に担うのは男女のカップルからなる家族である。それを個人の自由に任せ、放任しておくだけでは次世代の安定的な再生産は望めない。だから法的婚姻制度でもって異性カップルを保護し、「婚姻」にさまざまな法的効果が発生する仕組みを憲法や民法は創設しているのである。
異性婚の優遇は「優生思想」なのか
なお、そのこと――国民の世代的再生産の担い手の保護としての婚姻制度――を肯定することは、優生思想とは異なる。優生思想とは、再生産される人口として国民の「質」を問い、「不良な子孫の出生防止」(旧優生保護法1条)を唱えることだ(石埼学「憲法25条の健康で文化的な生活と戦後日本の優生政策」遠藤美奈・植木淳・杉山有沙編『人権と社会的排除 排除過程の法的分析』成文堂、2021年参照) 。
そのような優生思想に基づく婚姻制度を整備することは、憲法24条2項のいう個人の尊厳に著しく反するというべきである。しかし婚姻制度へのアクセスを男女に限定することは憲法の予定することであり、また国民の「質」を問題とするものではないので優生思想とは無縁である。