同性カップルの「婚姻の自由」をめぐる現状の学説

そもそも同性カップルに「婚姻の自由」はあるのだろうか。憲法学や民法学の学説はこの点をどう考えているのだろうか。

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前記の通り憲法24条1項には「両性」や「夫婦」という言葉がある。これらの文言から明らかな通り、憲法は「婚姻」とは異性カップルの問題であることを当然の前提としている。法の解釈は文言にとらわれすぎてはいけないが、文言からかけはなれてもいけない。

今日の憲法学では、この条文について家制度を否定する趣旨にすぎず同性婚を禁じるものではないとの解釈も有力だ(たとえば石埼学・押久保倫夫・笹沼弘志編『リアル憲法学(第2版)』法律文化社、2016年の第9章・斎藤笑美子執筆)。しかし、本条が家制度を否定したことは確かであるが、同性婚については、禁止も許容もなにも、想定していないというべきであり、そもそも「婚姻の自由」は異性カップル以外でも問題になりうるのかがここでは問題である。

現行法は「婚姻」をどう定義しているか

法的に「婚姻」とは何か。民法学者の犬伏由子によれば、現行家族法では「夫婦は暗黙に生殖可能な男女=異性愛カップルであることが当然とされ、婚姻が親子関係の前提をなし、法的親子関係を規律するものと捉えられている。現行法は、生殖と子育てを伴う婚姻家族(法律婚家族)=嫡出家族を中心的家族モデルとして規定していると考えられてきた」(「家族法における婚姻の位置」ジェンダー法学会編『固定された性役割からの解放』日本加除出版、2012年、89ページ)。

憲法学も憲法24条の「婚姻」についてこれと同様の理解をしてきた。憲法学者の長谷部恭男も「婚姻の自由は、当該社会において『婚姻』とされる関係が、広く認知されていることを前提としてはじめて成り立つ」としつつ、「『婚姻』外の男女関係や親子関係、婚姻しないで生きる自由なども、標準形としての『婚姻』があり、それとの距離をはかることで成立する」と婚姻が男女間のものであることを前提とした記述をしている(『憲法の理性(増補新装版)』東京大学出版会、2016年、134ページ)。標準形としての男女の婚姻があるから、それから距離のある「婚姻」外の「男女関係」が問題となるのである。