「自分が若い頃にSNSがなくて本当によかった」

今回の騒動のさなか、炎上の中心にいる高校生のほかにも次々に「迷惑行為動画」が発見された。その犯人たちのほとんどは中高生であると目されている。この騒動についてネット上では「寿司テロ」と命名され、またかれらが「Z世代」と呼ばれていることをもじって「Z戦士」などと揶揄やゆされてもいる。

しかしながら、かれら若者たちがやっているのは実際には店や業界に社会的打撃を与えるべく企てられたテロ行為ではなく、10代の若者たちが友達と連れ立って回転寿司などの飲食店に行き、そこでチキンレース的な無茶をやって仲間内で盛り上がる、いうなれば“ノリ”でやった悪ふざけであるというのが実際のところスケールだろう。

TikTokに投稿したのも、それは全世界に向けて自分たちの不届きな姿を大々的に発信したいがためではなく、TikTokでつながっている学校や地元のごくごくローカルな友人同士のコミュニケーションのちょっとした「きっかけ」づくりのためだ。

まさか自分たちの友人内における「内輪ノリ」で軽い気持ちで投稿した動画が、自分たちよりずっと上の世代が主なアクティブユーザーで占められている別のSNSで「発見」されて、世間を震撼しんかんさせる炎上事件に発展してしまうとはまったく予想していなかっただろう。

「迷惑動画」の拡散をきっかけに、中高生年世代に対する厳しい声が苛烈をきわめているわけだが、これを横目に見ながら、いまのようにスマートフォンが普及しておらず、ネットやSNSがなかった時代に中高を過ごせたことによって、ほっと胸を撫でおろしているような人は少なくないはずだ。

いま騒動の渦中にいる若者世代の先輩にあたる各世代もみな中高生のころは年齢相応に愚かであり、仲間といるときにはついつい気が大きくなってチキンレース的な悪ふざけをしてしまった経験が一度や二度はあるはずだ。かれらがそれ以前の世代と決定的に異なるのは「若かりし頃の未熟で短慮で愚かな姿」が全世界にリアルタイムで可視化されうることだ。

仲間と集まり、ふいに気が大きくなり、盛り上がって楽しくなって、そのままの勢いでなにかをやらかしてしまった――若さみなぎるエネルギーを持て余したがゆえの「若気の至り」はだれにだって、どの世代にだって多少なりともあることだ(「そんな経験はない」と断言している人だって、都合よく記憶を消去してしまっているだけで、周囲の大人から煙たがられるような行為をやった経験はゼロであることはまずありえない)。

そのとき自分の手元に、全世界と瞬時につながる情報通信デバイスが握られていたかどうか――そのわずかな差が、命運を大きく分けた。

握り寿司
写真=iStock.com/rai
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はっきり言ってしまえば、ネットやスマホが普及するよりも前に中高生の時期を通過することができた世代は、いまあらゆる世代から「こいつらの世代はダメだ」と総スカンを食らっているZ世代とそれほど変わらない日々を過ごしていた。犯罪統計的にいえばむしろ昔の世代の中高生時代の方がよほど素行が悪かったとさえいえる。けれども幸か不幸かそのほとんどは(突出した凶悪犯罪以外は)世間的に可視化されるような可能性もリスクもほとんど存在しなかった。

逆にいえば、いまの時代に中高生として生きる若者たちは「自分たちの未熟で短慮で愚かな姿」を、全世界の不特定多数に向けて否応なしに発信され可視化されるリスクを負いながら、大人に向けて成長していく過程をたどることを余儀なくされている。

年を重ねたことで大量の社会知や経験知や物事の分別を会得した先輩世代は、まるで最初から自分がそのような姿をしていたかのようにふるまい、いま「寿司テロ」をやらかす若者たちの姿を見て眉を顰めたり、厳罰に処すべきだなどと語ったりしている。

だが実際にはそうではないだろう。未熟で短慮で年齢相応の失敗を繰り返しながら少しずつ成長していったその過程が世の中に可視化されないラッキーな時代に「若者」をやれていただけだ。