とっさに出てくる「あっすいません」を変える

先日、ぼくがドアを開けて建物に入る際、後ろから同じ建物に入る人がいたのでドアを開けたままにして待っていた。そのとき、その人がぼくに発した言葉は、“あっ、すいません”だった。エレベーターでも同じことが起きる。後から入ってきた人に対して“何階ですか?”と聞くと、“すいません、5階です”。

なぜこうも謝るのか。ぼくは謝られるようなことをしていない。謝るのは自分が悪いことをしたときだ。ドアを開けてもらうことも、代わりにエレベーターのボタンを押してもらうことも、“悪いこと”ではないはずだ。

日々謝ってばかりの生活だと、自己肯定感が下がり、常に恐縮して生きることになる。

謝る親を見て、子どもも、“なぜ謝るのだろうか”と疑問に思うのではないだろうか。

人にドアを開けてもらうことや、エレベーターのボタンを押してもらうことは悪いことなのだろうか。と無意識のうちに刷り込まれる。そうすることの積み重ねが、他者との交流をやりにくくする原因になっているのではないか。なるべく他者と関わらずに、自分のことは自分でなるべくやる。という現代社会の断絶の仕組みを生み出しているように思う。

1日1回「ありがとう」と伝えてみよう

「ありがとう」を言ったり言われたりする機会が少ないのは、普段のこうしたあらゆる場面で、本来“ありがとう”が使える場面ですら使われなくなっているからではないか。悪いことをしたわけではない場合は、“すいません”のネガティブワードから、“ありがとう”のポジティブワードに変える。たったこれだけで双方の気持ちが変わる。

“ありがとう”は、伝えた人も、言われた人も、ポジティブで優しい気持ちでさせる力がある。そして、それを見た子どもは、人に親切にする・されることは、悪いことではなくて良いことだと明確に理解できるだろう。

オフィスでミーティング中のグループ
写真=iStock.com/maroke
※写真はイメージです

感謝の言葉を使うには少しの勇気や慣れが必要なのかもしれない。“ありがとう”と言い慣れていない人からすると、照れ臭いと感じるだろう。しかし、これは一種のトレーニングや習慣によって改善できる。普段の生活でいかに“ありがとう”を発するかという慣れの問題だ。

慣れるまでは、生活の中で意識をする必要がある。まずは感謝の言葉を1日1回誰かに伝えてみる。家族、仕事の仲間、友だち、店員さん、誰でもいい。そして、それを寝る前に思い出してみる。今日、自分は感謝の言葉を何回伝えることができたかな、誰に対して伝えることができたかな。

これを1週間継続できたら、1回を3回に増やせばいい。1カ月継続できれば、きっと自然と自分の生活の中に”ありがとう”が取り込まれているだろう。3カ月も経てば、人間関係が良好になっていることに気づくだろう。