適切なタイミングで退任した首相はプラス評価

むしろ、余計なことをしなかったとか、辞めたほうがいいときに地位にしがみつかずに退任したらプラス評価している。たとえば、東久邇宮稔彦王は、終戦直後に皇族首相として混乱なく矛を収めることに賢く行動し、皇族が関与すべきでない憲法改正問題がでてきたら適切に辞職した。

羽田孜は国会を解散したら延命できたのに、小選挙区制を確立するために身を犠牲にしたので(選挙区制度改正告知期間内だったので解散したら中選挙区での選挙になった)、業績もビジョンもなかったがそれほど悪い点にはしていない。

首相になる前、辞めた後の経歴や言動も考慮してない。細川護煕が立派な教養人だとか、三木武夫が半世紀以上も国会議員だったのも首相としての評価とは関係ないし、戦前の鳩山一郎が軍国主義を推進し、滝川事件(※)のときの文部相だったのも同じだ。岸田文雄首相の家族愛も菅義偉が苦労人であることも首相としての評価に影響しない。

※1933年に京都帝国大学で発生した思想弾圧事件

吉田茂と池田勇人が「10点満点」なワケ

私がトップスリーだと思うのは、吉田茂、池田勇人、安倍晋三である。吉田茂は、GHQ相手に無駄な争いをしない一方、主張するべきときは肝が据わっていた。

吉田茂
吉田茂(写真=http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/souri/45.html/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons

ソ連、中国、韓国などを相手にせず、サンフランシスコ講和条約での単独講和、日米安保条約の締結など、最善の選択とみたら東京大学の南原繁総長らの知識人が一致して批判しても「曲学阿世の徒」と相手にしなかった。

多くの政治家が公職追放されたあとの人材不足を、官僚などから優れた眼力で人材をスカウトして起用し、「吉田学校」で鍛えた。

池田勇人は、60年安保ののちの、革命前夜的な時期に、豪傑タイプの失言居士から一転して低姿勢に徹し、所得倍増路線と対米協調外交で体制を安定させた。

池田勇人
池田勇人(写真=Eric Anefo Koch/CC-BY-3.0/Wikimedia Commons

ドゴールから「トランジスタのセールスマンのようだった」といわれたのは、OECD加盟など経済問題を議題にしたからだが、そのフランスのジスカールデスタン大統領が経済外交のサミット(先進国首脳会議)を創設したのは、そのわずか10年余りのちである。

アメリカには、軍事協力より市場開放で評価されたが、この経済重視路線こそが、発展途上国にとって世界革命より自由経済の枠内での発展というモデルを提供し、冷戦で西側が勝利することの決め手になった。