なぜヤクザは刺青を彫るのか。2000人以上の暴力団員に取材したジャーナリストの鈴木智彦さんは「からだに彫り込んだ刺青は、カタギ社会へ戻る大きな障害となる。刺青は『もう二度とカタギには戻らない。死ぬまでヤクザとして生きる』という決意表明なのかもしれない」という――。(第3回)

※本稿は、鈴木智彦『ヤクザ2000人に会いました!』(宝島社)の一部を再編集したものです。

一面に和彫りを施した男性の背中
写真=iStock.com/Aleksandar Jankovic
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「ヤクザ=刺青」というイメージもあるが…

ヤクザたちは刺青いれずみを「我慢」と呼ぶ。ようするにものすごく痛いのである。

彫り師の仕事を間近で観察していると、針を降ろしたとたん、肌はみるみる血液や体液で染まっていく。かなりグロい光景だ。また、刺青はただでさえ細かい作業の連続である。時間がかかるうえに、肌の自然治癒力を超えて彫ることができないため、完成までには根気も必要で、かなりの費用と時間がかかる。我慢という呼び方には直接的な痛み以外の意味を含有しているのだ。

刺青は今やヤクザの代名詞で、多くのヤクザが、思い思いの絵柄を背中に彫り込んでいる。ただし、ヤクザになるためには刺青が必須ということではなく、基本的には個人の趣味といっていい。土地柄の違いもあり、山陽道や九州一帯では刺青の愛好家が多いように思える。それも東京とは違い、足首までびっちり入れることが多い。こうした土地では「ヤクザの刺青がカタギ社会との決別を表している」(九州の某組長)という考えが根強いのだという。

忠誠心の表れから、親分の名前や組の代紋を彫る若い衆もいる。暴力社会の汚さにうんざりし、その理不尽さに嫌気がさしても、からだに彫り込んだ刺青は、カタギ社会へ戻る大きな障害となる。刺青は「もう二度とカタギには戻らない。死ぬまでヤクザとして生きる」という決意表明なのかもしれない。

ただ、刺青を入れないヤクザも少なからずいる。名のある親分には刺青に否定的な人も多いようだ。