エリアの価値をさらに高める等々力緑地

武蔵小杉駅周辺はタワーマンションが林立して、住居と商業施設は充実しましたが、それだけでは日々の暮らしの潤いが足りないかもしれません。元々工場地帯だった場所に、これだけ多くの新住民が定住するようになったわけですから、近場で寛げて、楽しめる広々とした空間が求められます。

もちろん自然環境として多摩川の河川敷も近いので、比較的恵まれた環境だといえますが、アフターコロナ時代には、居住エリアで過ごす時間が長くなるので、等々力緑地がより使い易く、魅力に溢れる施設に生まれ変わったら、武蔵小杉周辺の価値はさらに上がることでしょう。

公園の緑
写真=iStock.com/dar_st
※写真はイメージです

ところで、等々力緑地はもともと東急電鉄の前身、東京横浜電鉄が関東大震災によって被害を受けた東京の都市再生のための砂利需要の増加を受けて、砂利採取をしていた「新丸子採取場」でした。砂利採取をした後の穴に水が溜まり、そこが「東横池」と呼ばれていたようです。

砂利採取場→釣り堀→グラウンド→売却

戦後は砂利採取も禁止されたので、池は釣り堀として営業し、「東横水郷」と改称しました。さらに1953年には池の一部を埋め立てて、「新丸子東急グラウンド」という東急電鉄の福利厚生施設となりました。私も入社した頃は、このグラウンドで会社の運動会なども開催されましたので、よく体を動かしに行ったものでした。

東浦亮典『東急百年 私鉄ビジネスモデルのゲームチェンジ』(ワニブックス)
東浦亮典『東急百年 私鉄ビジネスモデルのゲームチェンジ』(ワニブックス)

しかし、バブル崩壊後のグループ経営危機の際、すでに隣地で都市計画公園として等々力緑地を整備していた川崎市へ1994年に売却することになり、その後現在の形になったという経緯があります。東急とはとても縁が深い場所なのです。

それ以来、川崎市民がスポーツと文化を親しむ場所として永らく利用されてきましたが、多少駅から離れていることもあり、フロンターレの試合などイベントがある日以外は閑散としています。

施設の老朽化なども問題になっていましたが、特に影響があったのは、2019年の台風19号の甚大じんだいな浸水被害でした。等々力緑地内にある「川崎市民ミュージアム」が浸水し、収蔵品や設備系統にまで被害が及ぶなど、大変な被害を受けたことでした。