人質だった家康と信長が出会っていた史実はない

「織田家の人質時代」の竹千代にまつわるエピソードとして、小説やドラマなどではよく織田信長との交流があったかのように描かれています。

例えば、NHK大河ドラマ「秀吉」(1996年放送、主演・竹中直人)において、徳川家康(演・西村雅彦)は織田信長(演・渡哲也)に対し「言い出したら聞かぬこと、私が織田の人質となっていた時、かわいがっていただいた兄上(信長のこと)はようお分かりのはず」と述べています。

信長と家康は当たり前だが、兄弟ではないが、かつて、本当の兄弟のように仲良く接していたということをこのせりふで強調されています。信長は天文3年(1534)の生まれであり、竹千代が織田にいる頃は、13歳から15歳。元服し、初陣も果たしています(一方、竹千代は4歳から6歳の頃に織田の人質となっていました)。

信長が竹千代に会いにいくことは容易でしょうが、この頃の2人に交流があったとする史実はありません。後に同盟を結ぶことになる両者。少年期に知り合っていたとする方が、ドラマチックではあるでしょうが、史料はそのことを語ってはいないのです。

祖母と家臣が側にいた

2年間の織田家での人質生活を終えた竹千代は、今川氏の本拠・駿府へ移ります。

最初、竹千代は少将宮町(現在の静岡市葵区紺屋町)に住み、於大の方の母・華陽院によって養育されたといいます。手習い(文字を書くこと)を教わるなどしたようです。

竹千代に従い、駿府まで来た松平家臣(酒井正親・内藤正次・天野康景・石川数正・阿部正勝・平岩親吉・野々山元政など)もいました(中村孝也『徳川家康公伝』日光東照宮社務所、笠谷和比古『徳川家康』ミネルヴァ書房)、それなりににぎやかな駿府での生活ではなかったかと推測されます。

家康の人質時代というと、惨めで独りぼっちで寂しくと描かれがちであるが、そうでなかったのです。

また、竹千代は今川義元から邪険に扱われたわけではありません。その逆です。

一説によると、今川義元の右腕である禅僧・太原雪斎が竹千代の学問の師匠となったと言われています(しかし、家康幼少期の逸話は、江戸時代の編纂物に記されたものが多く、後世の創作とも指摘されています)。

人質生活と聞くと、暗くジメジメしたイメージがあるかもしれないが、決してそうした面ばかりではないのです。竹千代は、恵まれていたと言えるでしょう。もちろん、それは人質を迎え入れる側(この場合は今川氏)の意図や長期的戦略もあってのことでしょう。

つまり、慈愛をもって人質に接することにより、その人質が長じてのち、そのことを恩義に感じて、今川家に忠節を尽くしてくれることを期待する想いもあったのではないでしょうか。