友だちに借金を申し込むまでに追い込まれる
――なんとかならなかった。
ならなかったんです。はじめの半年で潰れるかと思いました。資金ショートしてしまう。
売り上げは伸びているんですが、現金が回らない。「これか」と思った。「なんとかならないと言われたのは、これか」と。この2号店をオープンさせてからの1年半は地獄でした。寝られないし、スタッフに来月の給料さえ払えるのかなぁという感じだった。
――考えていたものと違ったんだ。
まったく違いました。
――そこで経営者としての壁にぶつかった。
そう。そこで初めて「これが経営っていうものなんだな」と。結局痛い目に遭わないとわからない。
――半年っていうのは比較的早くきたね。
半年経てばお客さんの髪を切れるようになるデザイナーが育ってくるのが見えていて、だから“半年もてばいける”というのが僕の目算だったんです。だから半年分の資金しか用意がなかった。
けれど、その「半年」が厳しかった。甘かったんです。毎月何百万もの赤字。自転車操業でなんとか資金をつないでつないでやってました。
――そこからはどう切り替えたのですか。
これは外部からお客さんを持っている人をヘッドハンティングするしかないと思った。並行して、親戚、友人に電話をして、お金貸してほしいと連絡をする日々。本当に嫌でしたね。そこから連絡が取れなくなった友達が何人もいます。
――売り上げは上がっていくけれど、固定費が追いつかないわけですね。
追いつかないんです。毎月何百万も。半年もするとすぐに何千万のマイナスが溜まります。でも、今手を挙げてしまったら保証金も内装費も億単位で残ってしまいます。
このタイミングでも税理士さん会計士さんに相談していたのですが、このときにはすでに論調が変わっていて、「限界来たら言ってね、きれいな手の上げ方教えるから」とか、店の売却相手を連れてきて紹介されたこともありました。“処理”に入ってきているわけです。世の中ってこんなふうルートが用意されているんだな、と感じました。
「資金は出すよ。そのかわり株式を持つのは無理だし、5年は辞められないよ」とか、「ここでバンザイしたら自己破産になるけれど、10年もすれば復活できるとか思っているでしょ。でも今の日本じゃ無理だから。けどいつまでもこんなことばかりできないから自分で見極めてね。君も経営者なんだし」みたいなことを散々言われて、本当に……、眠れなかったですね。
――キムタクに憧れてキレイな職場を選び、美容師に巡り合って、ACQUAといったら、それだけで甲子園にいくような憧れ方をする人も多い中で、遅刻したり甘いところもありながらも入社し、店長にまでなって、ここまで好きなことで万事うまくいっていたのが、ここにきてしっぺ返しというか……。
はい。プレイヤーとしてはある程度できたんですね。寝ずに働くとかはそんなに苦じゃなかったんですよ。そのノリでやっていたので自分が頑張ればなんとかなると思っていたんですが、この規模になると、それでは利かないことがわかってくる。もはや、自分が給与を取らなきゃいいとかいうレベルではない。そのときにはじめて、「経営って大変だなぁ」ということに気がついた。
このあとも、やっとなんとかなってきたという矢先に、今度は東日本大震災です。そのあとも半年くらいダメでした。お客さんはこない、電気が来るかもわからない。もう最悪だと思った。