どんぶり勘定から「冷静な分析」へ
それにしても、全社をみると、無理な受注が多すぎた。アジア案件の「止血」では補えず、96年3月期に営業赤字となり、その後の3年間は経常赤字も最終赤字も膨らんだ。要は、長年続いた「どんぶり勘定」の結果。プラント建設では、機材の価格や人件費などを数パーセント甘く見積もっただけで、利益が吹っ飛ぶ。それが、「以前はうまくいったから、今度も何とかなるだろう」では、環境の変化をしのげない。そこを改めない限り、同じ穴に落ちる。
2000年、再び危機が高まる。売上高もプロジェクトの完工高もピーク時の約3分の一にまで落ちて、日本で有数の規模を誇っていた内部留保も消えて、優良企業の面影を失う。メーンバンクと商社に債権放棄を要請し、危機を乗り越えようとするが、10月には株価が41円と額面を割り込む。
債権放棄を受け入れた銀行から、監視役がやってきた。バブル崩壊で膨らんだ不良債権の再現を防ごうと、銀行で取り組んでいた「業務の見える化」を進めるよう、促される。98年に取締役となり、99年6月に海外プロジェクト総本部長となっていて、その「見える化」に、もろに向き合うことになる。
たしかに、プロジェクトは、外からみていても、よく見えない。設計にどれだけの人数と日数がかかっているか、作業がどこまで進んだか、予定通りに図面ができたか、それをもとに資材の発注は進んでいるかなど、細かくチェックしないから、現場の独走が防げない。それらのデータを本部へ出させ、本部長が毎月の経営会議に報告し、透明化した。
もう一つ、「コールド・アイ・レビュー」と呼ぶ手法も採り入れた。元プロジェクトマネジャー、工事経験者、財務関係者を10人ほど集めたチームで、冷静な目で分析を重ねる。各設備の内容を縦に、その工事日程を横に記した格子状の表をもとに、進捗状況やコストなどをチェックする。契約、設計開始、設計の完了、主要機材の調達、主要工事の開始など、節目ごとに実施し、他のプロジェクトとの比較もした。
当初は、強い抵抗に遭う。プロジェクト関係者から「そんなことをやっても、わけのわからない人間がみてどうするのだ」と文句が出た。でも、強行した。やってみると、ものの見え方が違ってくる。「ああ、そうか」との発見もある。抵抗した面々も「ふーん、そんなものか」と頷くようになる。現場任せの「どんぶり勘定」に、決別が進む。
「見える化」と「コールド・アイ・レビュー」は、深化が必要だ。始めて10年たち、マンネリ気味となっている。いま、最新の情報通信技術を活用し、改善を目指す。ただ、あまりにコストや効率を優先し、詰め過ぎてもいけない。ずいぶんとシビアな時代に入り、みんなが窮屈になっている懸念もある。チェックの頻度ばかりが多くなると、意欲や活力がそがれてしまいかねない。若い人が、そういう文化に染まると、会社の将来は暗くなる。
よく「インセンティブを与えよ」「モチベーションを引き出せ」とか言われるが、それよりも、夢をどういう形で語り、「千代田化工が、やっていることは、こんなに面白いんだ」ということを、わかりやすい言葉で若い人たちと共有できないと、将来につながらない。ここでも、「聽之以氣」が欠かせない。格子状の表をみながら、そう思うことが増えている。