優れたマーケティング事例は「着眼点」が違う
では、マーケティングあるいはイノベーションとは何なのかというと、私はマーケティングを「知力」、イノベーションを「体力」と言っています。または、マーケティングは「技」、イノベーションは「力」と表現してもいいでしょう。こう考えると、さきほどのクノールのケースはまさしく「技」に当たるわけです。こういった発想や、視点を持てるかどうかです。これが本当にマーケティングの醍醐味なのだと思います。
私たちは研究者で、ビジネスはやっていない。ですから市場で戦うのではなく、研究で戦っています。研究者が論文掲載を競うトップジャーナルというものがあります。「Journal of marketing」、「Journal of marketing research」、そして「Journal of consumer research」。これら3誌がおそらくマーケティング関連の3大トップジャーナルといえるのですが、ここに載っている論文を我々が読むと、なるほどと思います。うなることもある。
何がすごいかというと、「着眼点」です。すごさの基準はいくつかあります。着眼点がすごい、あとは「分析手法」「データ」などです。すごさの軸はいくつかあっても、やはり着眼点がすごいと思わずうなります。
いくつか例を挙げますと、まず「行列の分析」というものがありました。例えば人気のお菓子店があって、人が並んでいるとします。この場合、自分の「前に何人並んでいるか」ではなく、自分の「後ろに何人並んでいるか」によって知覚品質が上がるのだそうです。いくら自分が並んでいても、後ろがまったく並んでいないと知覚品質が下がってしまう。
いろいろとインタビューや実験を重ねたりして解を求めているのですが、これは日常的にある現象です。そういうところに着眼をして、単にその場で話を聞くだけではなく、工夫をして何度も実験やアンケートなどの調査を重ねている。行列に並んでいる人の心理を正確にすくいとるのは、さすがだなと思います。
もう一つ着眼点の例でいいますと、「コンタミネーション(contamination)の研究」というものがありました。アパレルショップの服や、書店の本など、売られる過程で汚れてしまうものがあります。この場合のコンタミネーションは汚染というより手垢と訳すのが正しく伝わるでしょうか。そういう汚れに対して消費者がどういう反応をするか。
アパレルショップの服で実験されているものでしたが、初めてそれを読んだときになるほどと思いました。本屋やスーパーでも、きれいな商品を選ぶ人は少なくない。わざと人が使っている跡を意図的に残して、そこへ買いにいかせたりなど、コンタミネーションの状態を実際につくり出して実験するわけです。
人が触っていたものをどう思うかなど、まさに消費者の心理そのもので非常におもしろい。私はそうした着眼点がすばらしいと思います。これらは近年のジャーナルに載っていた例です。こういった例のほかにも、新聞社発行の広告誌でさまざまな海外の論文を紹介しているコーナーがあります。
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今後の研究の進展が見込めそうな分野としては、「製品開発」すなわち、ものづくりの研究があると思っています。製品開発は重要とされているのですが、研究ということになると、これまであまり進んでいませんでした。「ブランド」の研究は飛躍的に進みましたし、「広告」ももちろん研究が進んでいるし、「顧客満足」も指標などいろいろ開発されています。しかし、製品開発は意外と研究が進んでいないのです。アメリカでは、製品開発とデザインを重ねた研究が進展しつつあります。私はこの「ものづくり」の分野をずっと研究しています。ブランド論のような派手さはないのですが、これらの研究はもっと進むと思います。
ほかには日本マーケティング協会で今、パッケージの研究に取り組んでいます。エコロジーやユーザビリティなどの観点も含め、パッケージは今以上に重要になるかもしれません。パッケージによるイノベーションが製品の価値を上げることもある。
例えばヤマサ醤油「鮮度の一滴」という商品があります。醤油は普通、封を開けると酸化するので最初は色がきれいでも、使い終わるころには黒ずんでしまう。それが今、外気に触れさせないので酸化しないパッケージが出てきているのです。これは製品の価値そのものを大きく引き上げます。
細分化された個々の研究はこれからも進むと思います。逆にマーケティング全体にかかわる「ブランド」や「顧客満足」、「リレーションシップ」のような、過去にみられた大きなテーマはない、というのが今、研究者が持っている共通の感覚ではないかと思います。