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複数のリーダーがタスキをつないでいくのが民主主義

石原慎太郎さんも安倍晋三さんも多大な功績を残されたリーダーだということは間違いありません。しかし、石原さんであれ安倍さんであれ、特定の個人が亡くなったからといって、政府なり社会なりが立ち行かなくなるようでは、成熟した民主主義国家とはいえないでしょう。どれだけ功績を残した偉大なリーダーでも、その「替わり」は必ずいるというのが成熟した民主主義国家の大前提です。首相であれ知事や国会議員であれ、ある役割を担う人に対して「余人をもって代え難い」などと言っているようではダメなんです。

だから僕は、国政政党・日本維新の会の代表だった頃に「日本が自衛権の行使として武力行使に踏み切る際には、国会議員などの政治家が最前線に赴いて自らの命を危険に晒しながら、政治判断すべきだ」と訴えました。

人々はリーダーに従います
写真=iStock.com/NiseriN
※写真はイメージです

今、ロシア軍の最高司令官としてウクライナ侵攻を指揮しているのはロシアのプーチン大統領ですが、プーチン氏のような戦争指導者は「余人をもって代え難い」とされ、常に後方の安全地帯に身を置きます。命を張って戦うのは軍人、兵士で、場合によっては一般市民にも戦火が及び犠牲者が出ます。ところがそんな事態になっても、指導者などの政治家たちは自らの命の安全が保障されるかぎり「市民にある程度の犠牲が出るのはやむをえない」と言うのです。

僕はそういう考え方が大嫌いです。安全地帯から判断を行っていると、面子を気にしたり格好をつけたり、とにかく威勢のイイことを言いたくなります。しかし、勇ましいことを言うなら安全地帯からではなく、前線に出たうえで言うべきです。前線に出て自らの命が奪われる危険に晒されれば、戦闘を中止する判断に変わるかもしれません。いずれにせよ、「一番危険なところに政治家は出るべきだ」というのが僕の発想の根幹です。

そんなことを言ったら、当の国会議員たちから猛反発を受けました。首相や防衛相や国会議員が前線に出て、もしものことがあったら、誰が国を指導するのかと言うんです。

でも、そんな心配はいりません。日本は成熟した民主主義国家ですから、もし国会議員が欠員しても、いくらでも国民によって替えは利くのです。

有権者の側も今の首相、今の大臣、今の国会議員しか頼れる人はいないと思い込むのではなく、替わりになる人はちゃんと出てくると考えるべきです。特に有事の際は、国のために立つ人は必ず現れます。その人に国のかじ取りを託してもいいし、自分で立ってもいいじゃないですか。

といっても、国や巨大なグローバル企業ならともかく、民間や小さな組織では「次のリーダー」にふさわしい人が必ずしも見つかるとは限りません。中小企業や小さな組織では、功績のあるリーダーが急にいなくなったら組織の存続自体が危ぶまれるでしょう。