なぜ日本社会は紅白に「冷めて」いるのか
いま、紅白というワードを聞いて老若男女が抱くのは、具体的な出演者がどうとかいう積極的関心よりも「どこまで続けられるんでしょうねえ」という、どうしたことかみんなで俯瞰的な意見である。熱を帯びておらず、妙にクールだ。
熱狂が生まれず、視聴者がみな批評家のように俯瞰してかかる番組が爆発的な成功を見るわけがない。日本社会は、失われたとされる30年かかって「冷めることにした」んだろうか。
でも私は、こんなに推し消費カルチャー全盛、ある限定された一点の興味関心に向かってはアホみたいにお金も時間も労力も感情も注ぎ込み、ネット空間でも物理でも集団を巻き込んで局地的な祭りを起こすのを大の得意とする、根底が愛しきオタク体質の日本社会が、その年のポップカルチャーコンテンツの集大成といえる(なれる)紅白というイベントに妙に冷めてしまっているのが、よくよく考えると不思議でならない。そもそもの構造として、ポイントポイントで過剰に熱くなれる話題が、それぞれのオタクにとって山盛りのはずなのに。
だって、この秋に起きたキンプリの脱退やジャニーズ事務所の騒動が、どれだけメジャーなメディアが事務所への遠慮から右にならえで真正面からは扱わないようにして声をひそめようとも、ネットを席巻しおばさんや少女たちのリアルな会話を埋め、“本当の世間”の話題を奪っていったか。(私は自分の渾身のネット記事がキンプリ騒動に負けて埋もれて影も形もなく消えたので、歯ぎしりしてそのリリースのタイミングの悪さを呪ったものだ。)
日本の平均年齢、48歳
AKB48の岡田奈々ちゃんの交際発覚で突如大きな話題となった「アイドルの恋愛禁止」の話題が、「どうでもよくね」という冷静な意見と「いや、ファンのためにそういう設定でやってるんだから、そこは夢を守ってもらわないと!」という夢見がちな意見でうまいこと対立の構図ができて、おじさんや少年たち(だが主におじさん)を巻き込んでいったか。
長らくネットで「氷川きよしは紅組なのか白組なのか」「いや彼はピンクだから」と定期的な話題になり、2022年とうとう紅/白の枠組みを超えて横断的な存在となった“氷川きよしタイム”の導入に「NHK英断」「SDGsの体現」「まじサステナブル」とどれほど大きな喝采が起きたか。
そう、ここでそろそろ我々も気づくのだ。実はオタク的消費構造をもっとも力強く牽引するのは、注ぎ込める財力がある程度あり、ネット(ツイート)にも物理(実際に購買行動を起こしイベントなどの現地に行くこと)にも使える時間があり、人生に決して必要ではない余計なことをたくさん考え、無駄な熱量もまだ残ったおじさんおばさんであるということに。
いま、刻々と減少する1億2500万の日本の人口。その平均とは約48歳ザッツ団塊ジュニア、ボリュームゾーンの中央値である。まさにその平均年齢の人々が、日本の暑苦しい(真剣に褒めています)オタクの中央値、「センター・オブ・オタクジャパン」なのである。