※本稿は、椎名美智『「させていただく」の使い方 日本語と敬語のゆくえ』(角川新書)の一部を再編集したものです。
「させていただく」は関西発祥?
「させていただく」は関西と関係が深いと言われています。それが関東に、そして全国に広がったとされています。一向宗の信者であった近江商人が行商しながら全国に広めたという説もあります。
司馬遼太郎の『街道をゆく24 近江散歩、奈良散歩』から関連箇所を引用します。
日本語には、させて頂きます、というふしぎな語法がある。
この語法は上方から出た。ちかごろは東京弁にも入りこんで、標準語を混乱(?)させている。「それでは帰らせて頂きます」。(中略)「はい、おかげ様で、元気に暮させて頂いております」。
この語法は、浄土真宗(真宗・門徒・本願寺)の教義上から出たもので、(中略)絶対他力を想定してしか成立しない。(中略)「地下鉄で虎ノ門までゆかせて頂きました」などと言う。相手の銭で乗ったわけではない。自分の足と銭で地下鉄に乗ったのに、「頂きました」などというのは、他力への信仰が存在するためである。もっともいまは語法だけになっている。(※)
※司馬遼太郎(2009)『街道をゆく24 近江散歩、奈良散歩』朝日新聞出版、引用は11~12頁からです。
この「おかげさまの精神」は、今でも「させていただく」に含まれているのでしょうか? すぐに「そうだ」と言えないのは、意識調査から「させていただく」の恩恵性を人々が意識しなくなっていることがわかったからです。
本当に込められているのは敬意ではない
私が行った意識調査では、「なぜ『させていただく』を使うのか?」と、使う理由を聞いています。実際の行動と自分の行動に対する自己認識は必ずしも一致するわけではありませんが、参考までに回答を見ると、人々は丁寧さと謙虚さを示すために「させていただく」を使うと答えています。こうした人々の認識は調査結果とほぼ一致しています。しかし、人々が「させていただく」に込めているのは敬意なのでしょうか?
本当に込められているのは、実際には聞き手意識だと私は考えています。あなたに直接向けるのではなく、自分の行為を表現することによって間接的に伝わるあなたへの配慮です。これは従来の敬語の敬意とはちょっと違います。
「させていただく」フレーズ全体は、「あなた認知」(近接化ストラテジー)を丁重に表現する(遠隔化ストラテジー)、遠近両方のストラテジーを用いた「新・丁重語」への変化過程にあります。謙譲語と丁重語は自分がへりくだる点は共通していますが、相違点があります。
謙譲語は自分の行為が相手に向かい、結果として敬意が相手に向かうのですが、丁重語は自分だけで完結する行為を示すので、敬意が相手に向かっていきません。その代わり、丁寧さが自分に向かうのです。つまり、丁重語は自分の丁寧さや謙虚さを示す品行の敬語なのです。