「男女平等論者」の誤算

フェミニストをはじめとする「男女平等論者」の大きな誤算は「男性が普段どのような扱いを“当たり前”に受けているのか」をただしく想像できなかったことだ。

世の男たちは女性を不当に搾取して、なんら気苦労もなくのうのうと暮らし、世のあらゆる場面で不当に威張りちらし、周囲を委縮させている――とでも思っていたのだろうか。だからこそ「男が『男女平等』の意識を高めれば、女性をちゃんと敬うようになる」などと素朴に勘違いしてしまった。

相対する男女の考えを表したイラストと毛糸のコラージュ
写真=iStock.com/kaptnali
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……だが実際は逆だった。

男性たちは常日頃から他者にうっすら嫌われ、警戒され、「加害者」に見られないように肩を縮こませながら過ごしている。社会的なリスクの高い仕事の負担を押し付けられ、競争にさらされても弱音を吐くことを封じられ、敗北したり失敗したりしたときにも自己責任を求められてきた。このような男性にとっての「当たり前の扱い」を女性に対してもフェアに向けるようになったのが、いま世間で達成されつつある男女平等である。

ようするに「女の子を殴るなんて男のすることではない」という(男性のマッチョイズムに依存した女性に対する性差別的な)規範を解体した結果「女だからといって男と同じように殴らないのはフェアではない」とフェアに殴打する男たちが増えていったということである。

こうした潮流に対して「男性並みにぞんざいに扱われるのではなくて、男性も女性並みに大切に扱われる世の中を目指すことに協力すればいいじゃないか」といった反論がしばしばある。

言いたいことはわかるのだが、ではいったいだれが、たとえばこの社会の運営に必要不可欠な「よごれ仕事」を引き受けるのだろうか。これまで男性がその大部分をやってきた「危険で汚くてキツくて臭い仕事」は、「女性並みに男性も大切にされるべきだ」というベクトルで男女平等が達成された世の中では、だれも引き受けられなくなる。

「男性がぞんざいに扱われること」を必要経費として構築されてきた社会で、みんなが女性なみにやさしくされる世の中を実現することは原理的に不可能である。