81歳で病死した父親の後は、87歳の母親の番だった。40代の息子は、頻繁に実家に通い、例えば玄関の鍵が開け締めできず、ご飯は箸からこぼれ落ち、尿取りパッドを使用してトイレに行っているものの高確率で失敗している……認知症の母の介護に追われることになった。ケアマネなどのサポートを受けているが、思い通りにはいかない。父親を失ったショックで、夜中に「お父さん、連れてって〜」と叫ぶ母の姿を目の当たりにした息子の胸に去来するものとは――。
カギを開ける手元
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【前編のあらすじ】福祉系の仕事をしている石黒士郎さん(40代・既婚)の父親は70歳になる頃から、胸の苦しさを訴えるように。母親からの要請により病院で診てもらうよう再三再四、父親に懇願するが、大の病院・医者嫌いのため拒否される。そのうち排尿がしにくい状態に陥り、緊急で訪問診療の医師に処置してもらった後、半ば強制的に入院したものの、2日後、81歳で死去。石黒さんは、葬儀などのために実家で母親と過ごすうちに、87歳の母親の認知症の進み具合を目の当たりにし、愕然とする――。

忌引きの1週間で感じたショック

父親が81歳で亡くなると、石黒士郎さん(40代・既婚)は悲しみに暮れる間もなく、葬儀や親族とのやり取り、役所の手続き、お墓探し、生命保険手続きなどに追われた。石黒さんは、妻(40代)と2人で相談し合いながら、少しずつ進めていくことに。

これまで、数カ月に1度は日帰りで妻と共に実家を訪れていた石黒さんだったが、忌引の1週間、夫婦で実家に滞在した石黒さんは、87歳になっていた母親と生活を共にすることで、想像以上に母親の衰えが著しかったことにショックを受ける。

母親は、父親が生きていた頃は、「いつもお父さんが買い物についてきて嫌だ。ゆっくり買物ができねえ」と言っていたが、父親は「ついていかないと危なっかしくて」と言っていた。

そんな父親の言葉の意味を理解するのに、時間はかからなかった。最初に石黒さんが気付いたのは、母親が、家の鍵を開け締めすることができなくなっていたことだった。母親が鍵を開け締めしようとすると、まず鍵穴に鍵を入れることができない。運良く鍵が入ったとしても、鍵を回すことができない。

石黒さんは愕然とした。

「外出好きで、歩行しないと足が悪くなると刷り込まれている母にとって、致命的とも言える事実でした。母は、あっけらかんとしているので、『となりに戸締りを頼むからいいだ〜』と言っていましたが、これは、父親の手続きどころではない。『まずは、母の生活のことを考えなくては!』と、今後の方向を明確にした瞬間でした」

石黒さんによれば、若い頃の父親は、母親が姉さん女房ということもあり、母親に甘え、負担をかけていた。それは、おそらく父親自身にも自覚があったようで、定年退職後は、母親のフォローをよくするようになった。

しかし、父親が母親を心配して世話を焼くと、母親はそれを疎ましく思ってしまう構図が出来上がってしまい、石黒さんがたまに実家に帰ると、両親はお互いの愚痴をこぼし、それを聞かされていた。

その愚痴が、父親の晩年は、母親の認知症に関することに変化。「最近、母さんがボケてきちゃってよ~、変なことを言うようになったんだ」「こないだは食べきれないくらいラーメン作っちゃって困ってよ~」などと言っていたが、石黒さんは、「年だから当たり前だよ。お互いストレスをためないようにね……」と聞き流し、深刻には捉えていなかった。しかし、ようやく父親が言っていた意味が分かる。

忌引きで実家に滞在した1週間、母親は、毎日のようにこんなことを口走っていたのだ。

「お父さんの友達が、夜中になると何人も来るんだよ。『がんばるぞ〜、お〜!』なんて言ってるんだよ。『オレ(母自身)は来てること、知ってんだぞ』って言ったら、お父さんは、『誰も来てね〜』って、怒るんだ〜。それで(幻の来客に)お茶を出してやったら、ベランダから帰っちゃうんだよ~」

最初にこれを聞いたとき、石黒さん夫婦は、「そんなわけないでしょ」と笑い飛ばしたが、「どうやら母親は真剣なようだ」と気付いてからは否定せずに、できるだけ“幻の来客”の話にならないように、話題をそらすように心がけた。