この頃から「男性も生理について知ろう、女性も改めて学ぼう」という動きが表立つようになってきたように思います。テレビやラジオで生理特集が組まれるようになりました。
最近は小学校で男女一緒に生理についての授業を受けたり、生理用品の会社からサンプルが配られたりもします。小学生向けの漫画雑誌には「生理について」の冊子が付録で付いていて、子ども向けの生理に関する書籍もたくさん出ています。
生理の授業がある男子校のニュースが流れるようにもなって、現在の性教育は目まぐるしい変化が起こっていると感じます。
生理と射精を“対”にして教えることの弊害
生理をタブーにしない、という部分は進化した一方、「『生理』と『射精』を男女の“対”にして教える」というのは、いまだに性教育の定番であるように思います。
学校や教員、地域によって違いはあると思いますが、私が去年見た東京の公立小学校の性教育で配られた一枚のプリントは、表に「生理」、裏には「射精」の解説が印刷されていました。
この「生理と射精を対にして」教えることは「男子には生理について教えない」と同じくらい、男女の溝をむやみに複雑化させているのではないかと個人的に思っています。
まず、女性の生理は『生殖』にまつわるもの。男性の射精は『生殖』にまつわることと『性欲』にまつわることがセットになっているもの。
これを男女の“対”として学校で教わることで、「女性には『性欲』にまつわる機能がない」「あっても男性に比べ、教科書に特筆するほどでもないレベルで微弱である」かのように錯覚してしまうように思います。
男子は「性欲」、女性は「ときめき」
現在発売されている、性教育の書籍を保護者向けと子ども向けを含めランダムに15冊ほど読んでみたら、内2冊に「男性にも女性にも性欲はあってマスターベーションをすることはおかしくない」という記載がありました。『「性」のはなしはタブーじゃない! 小学生だから知ってほしい SEX・避妊・ジェンダー・性暴力』と『イラスト版 10歳からの性教育―子どもとマスターする51の性のしくみと命のだいじ』という本です。
けれど、いまだ多くのテキストでは「男子は性的なことを考えたりするようになり、マスターベーションをします」とある一方「女子は憧れの男子にときめいたりするようになります」とか「男子は性欲担当、女子はときめき担当」みたいに書いてあったりします。