本当の「力を抜く」とは何か

私は、道場に取材に来た人たちに「力を抜くこと」が本当はどういうものなのかを体験してもらうことがある。たとえば、麻雀のパイをできるだけ柔らかく打ってもらうのだ。

牌を柔らかく持ち、速くしなやかに打つ。そして牌を持ち上げすぎず、引きすぎず、牌と自身の体が一体になった感覚を大切にしながら、上半身を柔らかく使う。

だが、柔らかく打とうと意識すればするほど、肩やひじをはじめ体のあちこちが硬くなるものだ。

力がどこにも入っていない打ち方ができるようになると、吸いつくように指先にくっついた牌が何かの生き物かのように軽やかに、それでいて鋭く卓上に向かって放たれる。

「柔らかさ」が重要

これまで数えきれないほど牌を打ってきた私でさえ、柔らかい完全な打ち方が毎回できるわけではない。少しでも雑念があれば、力がどこかに入っているのが自分でわかる。はたからはわからないかもしれないが。

ベテランの道場生でも、力みがどこにもない状態で打つことは何千回に1回あるかないかである。そのくらい力を抜いて柔らかく打つことは難しいのだ。

年のせいで今はさすがに硬くなってきているが、以前は「体が柔らかいですね」とよくいわれた。

といっても、ふだんストレッチ体操やヨガなんかをしているわけではない。気をつけているのは、せいぜい日々の生活の中で、何をするにしても体全体を使うよう心がけることくらいだ。