「皇太子」を辞退し「秋篠宮」を維持
これは注意すべき証言だ。何しろ、秋篠宮殿下が自ら①次代の天皇になることが確定していると受け取られる「皇太子」という称号を辞退され、②内廷(いわゆる天皇家)から離れた“傍系”であることを示す「秋篠宮」という宮号の維持を望まれたというのだから。
しかも、御厨氏は有識者会議の座長代理を務めた当事者であり、キーマンだったこと、秋篠宮殿下が「皇太子」または「皇太弟」などの称号を持たれ、内廷に編入されることもあり得たのにそうならなかったこと、この証言に対して「政府高官」や宮内庁などからクレームが付かなかったことなどから、おおむね事実を伝える証言と見てよいだろう。
これが事実なら、秋篠宮殿下の「真意」は「今もわからない」どころか、上述の皇太子と傍系の皇嗣の“違い”に照らして、極めて明瞭ではあるまいか。
ただし、「皇太子」というのは、今の皇室典範では天皇の“お子様(皇子)”に限定して使われている。“お孫様(皇孫)”なら「皇太孫」だ。
「“皇太子”辞退」の真意
第8条に以下のようにある通り。
「皇嗣たる皇子を皇太子という。皇太子のないときは、皇嗣たる皇孫を皇太孫という」
この用語法を踏まえると、秋篠宮殿下は天皇陛下の“弟宮(皇弟)”なので「皇太弟」という称号を新しく制度化するはずだったのだろう。もちろん、「皇太弟」でも次代の天皇となることが確定したお立場と見られる。そこで、秋篠宮殿下としてはそれもお避けになって、“その時点”で継承順位が第1位であることを示す一般的呼称にすぎない「皇嗣」を望まれた、ということだったと拝察できる。
もはや秋篠宮殿下の“真意”は明らかだろう。「即位されるおつもりはない」ということだ。
ちなみに、宮内庁は秋篠宮殿下が“外出”される時に、皇太子の場合に用いる「行啓」ではなく、一般皇族と同じ「お成り」という語を使って、きちんと区別している。これはあまり気づかれていない事実かもしれない。
秋篠宮殿下が即位されるおつもりがないという推測をさらに補強する事実がある。それは、ご即位にともなって行われる「大嘗祭」という大切な祭儀のあり方について、皇族のお立場としては異例と思えるほど踏み込んだ“批判”をされた事実だ。