「伝わる」と「わかる」を一致させるには
こんな経験をしたことはないだろうか。部下にある案件を伝え、本人も「わかりました」と答えたのに、いっこうに実行しない。改めて確認すると、「あの件はそういう意味だったのですか」などと、さも自分には責任がないかのような表情を浮かべる。これが重なると上下関係は疲弊していく。責任はどちらにあるかといえば、伝える側にあるようだ。鈴木敏文氏はいう。
「人間の行動は自覚から始まります。部下が実行しないのは、何をすべきかを自覚していないからです。例えば、ある問題について担当の管理職に、“あの件はどうした”と聞くと、“その件なら部下に何回も話しておきました、伝わっているハズです”と答える。いわれた部下も、わかったツモリになっているかもしれません。しかし、何回話しても、伝わっているハズとわかったツモリの間に大きなズレがあり、部下が自覚せず、行動に結びつかなければ、話したことにはなりません」
そもそも、「伝える」とはどういうことか。「失敗学」提唱者で、鈴木氏とはグループ広報誌「四季報」で対談し、意気投合した畑村洋太郎・工学院大学教授によれば、世の中のものは「要素」と「構造」から成り立っているという。
例えば、一杯のラーメンも「めん」「スープ」「チャーシュー」「器」などの要素が合わさり、「うまいラーメン」の構造がつくられる。人は知識や経験から、頭の中にさまざまな要素と構造が組み合わされた「テンプレート(型紙)」を数多く持っている。もし、売り手が提供するラーメンが顧客の頭の中のテンプレートと一致すれば、「うまいラーメン」と感じてもらえる。
これはコミュニケーションにもあてはまる。もし、伝えようとする内容が相手の頭の中のテンプレートと一致すれば、「伝える」と「わかる」が一致し、相手に自覚が生まれる。そのため、きちんと伝えるには、相手の頭の中に伝える側と同じテンプレートをつくらなければならない。