経済小説の大家が本当に描きたかったものは
63歳のとき、清水氏は「自分の中には共産党への復帰願望がずっとくすぶり続けていた。18歳で入党した自分のロマンを貫くには、やはり共産党員であるべきだというこだわりが原因だったのかもしれない」と、ある雑誌のインタビューで語っている。共産主義への郷愁が断ち切れたのは、1989年にベルリンの壁が崩れたのを目の当たりにしたときで、「これこそ自分が目指していた、真の民衆革命だ!」と、滂沱の涙を流したという。
清水氏は同じインタビューで、最終目標として「戦後の労働運動を背景に、食うや食わずの青年の生きざまを描きたい。ショーロホフの『静かなドン』の日本版、原稿用紙3000枚の大長編」と語っている。つまり徹底して資本主義社会を描いた経済小説の大家が究極的に描きたかったものは、その対極にある共産主義を信奉した人間の生きざまだった。それは戦後の一時期、熱病のように流行した共産主義を信奉し、その後、企業社会に転じ、日本の高度経済成長の原動力となった人々のドラマでもあった。
『静かなドン』の日本版は残念ながら実現しなかったが、清水氏の作品群の多くに、元共産主義者や労働運動家が登場する。不世出の経済小説の大家は、そうした登場人物を通じて、自分を含め、激動の昭和から平成にかけてを生き抜いた人々の生きざまや想いを描いていたように思う。