「すぐに役に立つ教養」に警鐘を鳴らしているが…

2014年の『おとなの教養』では前述した小泉信三の話が序章で紹介されている。「すぐ役に立つ」ことへの警鐘を鳴らしたうえで、「だから本当の教養というのは、すぐには役に立たないかもしれないけれど、長い人生を生きていく上で、自分を支える基盤になるものです。その基盤がしっかりしていれば、世の中の動きが速くてもブレることなく、自分の頭で物事を深く考えることができるようになるわけです」と述べている。人生の基盤という話は出口が考える教養論に通じる部分も大きい。

レジー『ファスト教養 10分で答えが欲しい人たち』(集英社新書)
レジー『ファスト教養 10分で答えが欲しい人たち』(集英社新書)

一方で、「教養はすぐに役に立つものではないが大事」と伝えたいはずなのに結果的には「教養は役に立つツール」というメッセージが伝わってしまう……という状況においても出口と池上は共通している。

もともと池上が名を挙げたのはNHK在籍時代の「週刊こどもニュース」であり、それ以降も「そうだったのか!池上彰の学べるニュース」などメディア上においては「本来はわかりづらいことをわかりやすく伝える」ことに特化したキャリアを歩んでいる。

また、池上が東工大で教養についての教育に関わることになったのも、2011年の東日本大震災および福島の原発事故をめぐる報道における「テレビのニュースを見ても、専門家の解説は、もっぱら専門用語や数値を並べるだけで、原発事故の実態がどんな様子なのかとてもわかりにくい。横に並んだアナウンサーも権威のある学者の意見にうなずくだけで、かみくだいた解説をしない」という状況に危機感を覚えたからだと言う(「今なぜ東工大生に教養が求められるのか 池上彰のリベラルアーツ教育のススメ」東京工業大学リベラルアーツ研究教育院)。

「教養が役に立つ、というのはあくまで結果論」

背景が複雑な時事ネタに対して相応の「知ったかぶり」をしたいという需要に的確に応えている池上のアウトプットがファスト教養的な文脈で消費されるのはある程度仕方のないことのように思える。くわえて、池上自身、もしくは池上を担ぐメディアサイドも「すぐに役立つ知識を教えてくれる」という期待に応えるような振る舞いをしているのも指摘しておきたい。

『おとなの教養』とほぼ同じタイミングで刊行された『池上彰の教養のススメ 東京工業大学リベラルアーツセンター篇』において、池上は「教養が役に立つ、というのはあくまで結果論」「教養って、ムダなものです」と予防線を張りながらも、スポーツでもビジネスでも海外でルールが決まって日本は不利を被りがちなことや、スティーブ・ジョブズの発想の源泉に直接ビジネスとは関係のないカリグラフィーがあることなどを示す。

そのうえで、そういったシーンで力を発揮するための「フレームワークや、所与の条件や、ルールそのものを疑ってかかる想像力」や「『創造的』な力」を身につけるために教養が役に立つという論を展開している。