「教養=小手先のスキル」になってしまっている
「すぐ役に立つ」を突き詰めたものは基本的に普遍性を失う。なぜなら、それはすなわち個別事情に最適化したものだからである。自身の好みと合致するようにアルゴリズムで整頓されたSNSのタイムラインを見るのは心地よいが、そこに現れる世界は決して「社会全体」ではない。また、流行りのビジネス用語を解説するような書籍は、数年後にまた異なる概念が盛り上がりを見せ始める頃には無用の長物となる。
もちろん「流行りのビジネス用語を解説するような書籍」に触れることは時としてビジネスパーソンにとって必要である。絶えずトレンドを把握することも仕事においては重要なことであり、「追いつかないといけない新しいトレンドはまたすぐにやってくる」ことを理解しながらも、目の前でまさに盛り上がっているテーマについて勉強しないといけないという局面は多い。
問題なのは、「トレンドに追いつく」というスピード感で摂取しなければならない知識とは本来対極に置かれるべきである教養もまたその波に飲み込まれてしまっていることである。
田端信太郎の『これからの会社員の教科書』によれば、夏目漱石、司馬遼太郎、村上春樹、三島由紀夫を読むこと、およびフリッパーズ・ギターを聴くことは「ある種の一般教養」であり「小手先のスキルよりも大切」とのことである。だが、時の洗礼を受けて今も残る芸術家の作品を「ビジネスシーンで話を合わせるためのツール」に位置づけている時点で、これらの固有名詞は「小手先のスキル」に成り下がっている。
そしてそういった振る舞いを「教養あるビジネスパーソン」像として評価するのがファスト教養全盛の現代の風景である。
「俺が若者たちの人生を変えてしまったな」と語った池上彰
出口治明『人生を面白くする 本物の教養』が刊行される前年、2014年に話題を呼んだのが池上彰の『おとなの教養 私たちはどこから来て、どこへ行くのか?』である。この『おとなの教養』シリーズは、2019年に第2弾、2021年に第3弾が発売されるなど継続的に支持を集めている。
ちなみにこの本が出る前、2013年7月の参議院議員選挙において池上が出演したテレビ東京の選挙特番が民放の視聴率トップを獲得した(池上は2010年7月よりテレビ東京の選挙特番でメインキャスターを務めている)。
ソフトな語り口とそこから繰り出される無礼ギリギリのツッコミは今では国政選挙における風物詩となっているが、そんなメディアでの活動と並行して池上は2012年に東京工業大学のリベラルアーツセンターの教授に着任。現在(2022年)も同校のリベラルアーツ研究教育院の特命教授として、理系の学生に対して教養のあり方を教えている。
大学での授業を通じて「ああ、俺が若者たちの人生を変えてしまったな」と感じることもあるという池上だが(「『文理問わず教養教育が重要』池上彰が語る大学論」東洋経済オンライン)、『おとなの教養』シリーズはそういった教育者としてのアクションを外向きに発信しているものと言えるだろう。