バブル崩壊の「貸し剥がし」で資金繰りが悪化

背景には同年の金融危機がある。銀行の健全性を保つため、銀行は一定水準の自己資本比率を維持すべし、とする国際的なルールが制定されることとなったのだ。

銀行としては、利益を上げて、自己資本を高めることが、これに対応するベストな方策である。しかし、バブル崩壊による不良債権処理で危機に瀕している金融機関は、もっと手っとり早い方法を選んだ。総資産の圧縮だ。そのために、銀行は「貸し渋り」と「貸し剝がし」に走った。

この会社も、その対象となった。

都心の3棟のビルは、バブル期にほぼ全額を借金して購入したものだった。バブル崩壊後は資産価値が3分の1に下落。銀行から見れば、不良債権以外の何物でもない。期日がくるたびに全額返済を言い渡された。

ストレスのたまったビジネスマン
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私も社長と一緒にいくつかの銀行を回ったが、対応は予想以上に厳しかった。メインバンクは、3棟のビルのみならず、社長の自宅や家族の住まいまでも担保にとっており、その回収をはかってくる。準メイン以下の銀行も、当然、融資をしてくれない。燃料の補給が断たれ、残された燃料が尽きるまで、どれだけ飛びつづけられるかの問題になった。

給料が遅延し、社員の退職が相次いだ

こういうときにまずやるべきは、正確な資金繰り表を作ることだ。そして、それと横にらみで、とにかくやるべきことをやらないといけない。

しのげる限りしのいだが、12月にはいよいよ危うくなってきた。

このころになると、社員も危機を察していた。資金難を知った卸業者が商品を納入しないため、異変が起きていることを感じざるをえない。

11月にナンバー2の専務が退職したのを皮切りに、社員の退職も相次いだ。

給料の支払いが遅延し、ボーナスもなし。それにもかかわらず、社員の仕事量は減らなかった。人数が減った分、残された社員の負担はむしろ増していた。

日に日に寒くなる中、オフィスで長時間の残業をする社員たちを痛ましい思いで見た。