ケガの原因は練習不足と体力の減退
今季は左内腹斜筋筋損傷で高卒1年目以来の開幕二軍スタートとなったが、象徴的なプレーが発生したのは4月30日の阪神戦だった。坂本は7回、二遊間のゴロを座り込むようにして捕ったときに負傷し、右ひざ内側側副靭帯損傷で登録を抹消された。
新聞によると、8回から退いた坂本について元木大介ヘッドコーチは「そんなに重傷じゃないと思う。(最短の)10日で戻ってきてくれればありがたいよね」と語っていたが、坂本が戦列に再復帰したのは40日後の6月9日だった。
しかし、7月上旬には腰痛を発症してまた登録抹消。ファン投票で遊撃手1位だったオールスターゲームも仙腸関節炎で辞退した。
仙腸関節炎は骨盤を構成する一部である仙腸関節に炎症が起きる病気だ。仙腸関節は脊椎の両側にあるため、炎症が起きると腰や臀部、太ももの痛みや感覚障害などの原因になるという。
結局、巨人が5連敗で5位まで転落した7月の坂本は5試合に出場しただけ。オールスターゲームまでの前半戦は、全96試合のうち49試合に出場して打率.299、本塁打5、エラー9で終わった。
故障欠場続きの発端となった阪神戦の負傷も、「急にバウンドが変わったイレギュラー」と擁護した評論家がいたが、長期間戦列を離れることになるほど難しいゴロではなかった。
私にいわせれば、坂本の相次ぐ負傷欠場はキャンプ以来の練習不足と体力の減退が原因だ。
リーダーとしての誇りとひたむきさが感じられない
昔の選手はみんな命がけだった。私が巨人で新人のショート時代、一塁の川上哲治さんに「下手くそ! もっといい球を投げろ!」と叱られたが、遠征先では私を宿舎の部屋に呼んで「ヒロ、俺は守備が下手だからな、手が届くところしか捕れんからな」と正直に打ち明ける勇気があった。
そして同じ先輩ショートの平井三郎さんやセカンドの千葉茂さんは「カワさんが送球を捕ってくれないなら、捕れる球を投げればいいじゃないか」とアドバイスしてくれた。おかげでそれまで「守備が下手ならもっと練習しろよ」と内心不満を募らせていた私は、川上さんが捕れる球を心がけて送球が正確になった。
そのかわり川上さんは、不動の4番打者としての誇りと責任感が強かった。私たちは1956(昭和31)年から3年間、日本シリーズで西鉄に3連敗した。無名だった新人投手・稲尾和久に完膚なきまでに抑え込まれたのだ。
その3年目だったと思う。主砲の川上さんが「俺が打てないために巨人が負けるのだったら、俺は試合に出ない」と言い出した。そのときはみんなで「川上さんが出なかったら試合にならない」と説得したが、いま主将の坂本には、チームリーダーとして川上さんのような誇りとひたむきさが感じられない。
私が坂本に厳しいのは、もっとうまくなって球史に残る名ショートになってほしいからだ。彼には、それだけの素質と可能性がある。