これは今や米軍と情報機関全ての見解が一致しているところだが、プーチンはロシアの軍隊がウクライナの民衆に「解放軍」として歓待されるものと確信していた。
彼はかねてからロシアとウクライナの両国は歴史、文化、宗教、そして言語さえも共有する一つの国であると説いていた。だから8年前にクリミア半島とドンバス地方の一部を強奪すると、次なる作戦の計画を練った。そして、この8年でウクライナは一段と弱体化したと信じた。
なにしろ今のウクライナの指導者(つまり大統領のウォロディミル・ゼレンスキー)はコメディアン出身で、勝利体験としてはダンスの腕前を競うリアリティー番組で優勝したことくらい。そんな男を失脚させ、ウクライナ全土を掌握するのは簡単だと、プーチンは判断した。
だからこそ、まずは数万のロシア兵を同盟国ベラルーシに送り、北からウクライナの首都キーウ(キエフ)に攻め入ることにした。
数的優位は明らかだから、最短72時間で首都を攻略できるとプーチンは踏んだ。ある意味、西側諸国もそういう判断を助長した。西側はロシアの戦争能力を過大評価する一方、ウクライナの防衛力を過小評価していた。
結果はどうだったか。首都へは迫れず、プーチンの戦争計画の大前提が崩れた。地上部隊は迅速に動けない。戦車や装甲車は道路で立ち往生し、物資等の補給は途絶えた。送り込んだ特殊部隊や空挺部隊は待ち伏せされた。ウクライナの防空システムを無力化するミサイル攻撃も失敗した。
柔軟性を欠くロシア
米CIA長官ウィリアム・バーンズは7月に、短期決戦での勝利を逃したのは「プーチンにとって戦略的な失敗」だったと指摘している。
戦いが長引いたことで、ウクライナ側は西側からの武器供与を待つことができた。同国のオレクシー・レズニコフ国防相は言った。「こちらの資源は限られているから、ロシアのような戦い方はできない」
違う戦い方ができるのは、高機動ロケット砲システムHIMARS(ハイマース)など、精密攻撃のできる兵器が届いたからだ。おかげでドニプロ(ドニエプル)川に架かる橋や後方のロシア軍陣地も攻撃できる。
それでもなおロシア側の戦術は変わらない。プーチンの固い縛りがあるからだ。