「リベートを要求された」康芳夫氏の暴露

「高橋がスポーツマーケティングで独断専行できたのは、成田、服部両氏の後ろ盾があったから」と話すのは、国際的イベントプロモーターの康芳夫氏だ。

康氏はモハメド・アリの日本興行や人間とチンパンジーの中間生物「オリバー君」の来日などを手掛けている。

その康氏は、84年ロサンゼルス五輪の時、テレビ朝日と共に日本での独占放送権を獲得しようと動き、NHKや他の民放側に立った電通によって「話をつぶされた」ことがあると証言している。

こうした因縁で電通をよく知る康氏は、「服部氏の下っ端だった高橋」(康氏)が、服部氏が早逝した後、その国際的な人脈を引き継いだことが、今回の事件の背景にあると見る。

康氏は、アリの日本興行を巡り、電通幹部から個人的なリベートを要求されたことも暴露している。

電通批判をためらわない康氏に対し、友人を介して、高橋氏から「大人しくしてほしい」と警告されたこともあるという。

招致の決め手となった「高橋人脈」

そんな康氏は、スポーツマーケティングで高橋氏が発揮する力の源泉は、オリンピックだけではなく、「サッカーワールドカップ(W杯)日韓共催だ」と指摘している。

当時、国際サッカー連盟(FIFA)のアベランジェ会長(当時)は、日本単独開催の方向で動いており、日本サッカー協会も追従していた。

一方、「反アベランジェ」で、日韓共催に動いていたブラッター事務総長(当時、後に会長)と、高橋氏が呼応、以後はブラッターとよしみを深めた。

当時、FIFAへの働きかけの実行部隊となったのが、前述したISLだ。ISLはオリンピックだけでなく、W杯と世界陸上のマーケティング権も押さえていた。

高橋氏はISL副会長も歴任しており、ISLが経営破綻した際、FIFAや国際陸上競技連盟(IAAF、現WA)の残務処理を助けている。

FIFAのブラッター会長や国際陸連会長を務めたラミーヌ・ディアク氏と高橋氏の関係は、この時に一層深まったと言われている。

高橋氏のサッカー人脈が生きたのが、東京2020オリ・パラ大会の開催地決定だった。

13年のIOC総会では、当時IOC委員を務め、投票権を持っていたブラッター氏に、高橋氏は票固めを依頼したという。

その甲斐あって東京開催が決まると、高橋氏は翌年、ブラジルで開かれたW杯に出向き、ブラッター氏に改めてお礼をしたという。

また、日本サッカー協会は、ブラッター会長と親睦を深めて2002日韓W杯招致を決めたとして、高橋氏が電通退任時に感謝状を贈ったという。いずれも高橋氏本人がインタビューで明かしている。