電通とIOCによる「権益システム」

オリンピックのスポンサー制度が始まったのは、1984年ロサンゼルス大会からだ。税金を使わずに大会を開くため、ロス五輪組織委のピーター・ユベロス委員長が編み出した仕組みである。当初はスポンサー価値を高めるために、「1業種1社」に絞っていた。

そのロス大会組織委の独占エージェントになり、スポンサー獲得に動いたのが電通である。電通のスポーツマーケティングが本格化したのはこの時からだ。

言うなら「オリンピックを金に換える仕組み」である。

この仕組みを、IOCが「ワールドワイドパートナー」(TOP)として引き継ぐ。そして、電通は独アディダス創業家と82年に共同で設立したスポーツマーケティング専門会社「インターナショナル・スポーツ・アンド・レジャー(ISL)」を活用する。

そのISLはIOCの国際マーケティング権を取得。

これにより、電通がIOCと一体化し、オリンピックにおけるスポーツマーケティング権益システムが出来上がった。

高橋氏は「最も影響力のある企業幹部」

この時、後に電通の社長・会長になった成田豊氏(故人)や電通ISL初代室長の服部庸一氏(故人)らの下で、ロス五輪のスポンサー集めに奔走していたのが、若き日の高橋氏である。

IOCのマーケティング担当だったマイケル・ペイン氏は、著書『オリンピックはなぜ、世界最大のイベントに成長したのか』の中で、高橋氏を「日本のスポーツやイベントに関し、彼は最も影響力のある企業幹部であろう」と評している。

その高橋氏は、その長いキャリアを通じて、スポーツマーケティングに不可欠な人脈を着々と築いてきた。

組織委にもIOCにも顔が利き、スポンサー選定に絶大な権限を持つ。そんな高橋氏の立ち位置が、今回の贈収賄事件を成り立たせたと言っていい。

この立ち位置は、IOCと一体化してスポンサーを集めてきた電通が、スポーツマーケティングの世界で構築した立ち位置そのものと言える。