「ドバイに商談に来るのは日本は課長。韓国はトップか幹部が訪れる」

「日中韓の企業と取引がある。日本は、新しいことをこちらが提案すると迷惑そうな顔をする。中国韓国は新しい話を喜ぶ。ドバイに商談に来るのは、日本は課長。韓国はトップか幹部が訪れる。ずっと以前からそう。昔ならそれでも日本に軍配が上がったが今はちがう。日本は持ち帰って相談と言うばかりで、こちらとはペースが合わない。出張に行くと日本は神経質にチェックしてくる。

それはいいのだが、日本のビジネスは窮屈で的が小さい。アラブの気質に合うのは韓国で、まずは遠くからよく来たと一緒に遊んで意気投合し、それからチェックしてくる。中国は友情もビジネスモデルもないが、財布が大きい。取るものはしっかり取っていく」(経済界の大物)

「私の父は、日本企業はファイターだ、果敢で研究熱心だと言って尊敬していた。私もその話を聞いて育ったが、今の日本企業はファイターではないと思う」(経営者)

かつては地方への食い込みに熱心だったが…

「1980年代、電球やラジオは大抵が日本製。90年代は日本製のテレビ、ステレオがあこがれの的だった。今も自動車は6割強が日本製。でもテレビなどの家電は韓国製が強く、日本製品はあまり見かけなくなった。私たちの世代は、高品質なのは日本だと思っているけれど、若い連中はそうではない。日本企業より韓国企業に親近感を持っている」(私と同世代の知人)

次は中国でのこと。1990年代末、北京、上海等の空港付近や地方都市の町中で、「サムスン」「ヒュンダイ(現代)」「LG」「ロッテ」といった韓国企業の看板が増えた。数年後には、韓国企業のほうが日本企業より存在感があると感じるようになった。2008年、北京で会った韓国のビジネスマンは、「韓国やりますね」と言う私に、こう答えた。

LGの看板
写真=iStock.com/iStockVadim
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「私たちの先生は松下幸之助さんです。その教えどおり、地方を歩きまわって代理店網を作ってきました。老夫婦がやっている小さな店にも商品陳列を指導し、消費者の細かいニーズを吸い上げ、販売網を開拓、拡大する。私たちはこのやり方で中国で成功しました」

「では、日本企業は?」と聞くと、少し困った顔で答えてくれた。「日本の方は、近年は、地方食い込みに熱心でないのかもしれませんね」

北京大学には韓国企業からの寄付でできた校舎、研究棟がいくつもあった。企業名がついている建物もあった。北京大の研究部門と連携し、優秀な人材を採用している。その話を日本のさる大企業幹部にしたところ、「北京大学? いやあ、行ったことないですね」とつれない返事だった。田舎町でも名門大学でも、韓国のほうが足を使って食い込んでいるのかと残念な気がした。