「なぜ私の税金をそんな人々のために使うのか」

【宮内】私は日本の社会はこれまで、国家に対し高い信頼感を持っていたと思います。すなわち我々個人も企業も、きちんと税金を支払っています。国は必要なことに対して、税金を財源にきっちり手当てをします。病人にも、困った人にも、貧しい人にも、国がちゃんとサポートをしてくれている、従って、自分たちが直接何かをすることはない。こんな信頼関係が崩れかけているのが今ではないでしょうか。それに代わって、新たにNPO等の自主的な動きが盛んになってきて、社会問題に個人が手を差し出すようになってきつつあるように思えます。Publicすなわち公共の課題を司るのは官=政府なのだという考えが、徐々に変化していると見ています。

円マークが書かれたブロックを積み上げる様子
写真=iStock.com/takasuu
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私はどんな社会でも“自助”が基本だと思います。自分の力で生きていけなければ人を助けることもできませんから、“自分で努力する”ということがまず基本になくては、世の中は回らなくなってしまいます。とはいえ自分ひとりではどうにもならないときは誰にでもあります。ですから、自助だけでも世の中はうまく回らなくて、「困ったときはお互いさま、みんなで助け合いましょう」というのが“共助”ですね。

たぶん、そこまではみんな理解してくれると思います。そこから先、「助け合いだけでは限界があるので、国のお金で貧しい人や困っている人を助けましょう」というのが“公助”ですが、これに対しては「なぜ、私の税金をそんな人々のために使うのか?」という反対論が出るわけですね。日本人はどうもその意識が他の国より強いようだ、と。

目の前の人には親切にするが…

【井上】“日本人は親切だな”と私も思います。マクドナルドのようなチェーン店で、日本のように店員さんが親切に接してくれる国はあまりないでしょう。道に迷ってその辺りの人に聞いてもだいたい丁寧に教えてくれます。しかし、このように目の前の人に親切にする気持ちと、“政府が貧しい人を救うべきかどうか”という政策についての考え方は、必ずしも相関していないんです。「自分としては周りの人に親切にするけれども、見ず知らずの人が死んでも別に構わない」という考えの人が多い。

しかし、ごく最近になって、それが少し変わってきた印象もあります。メンタリストDaiGoさんの炎上事件を見ても、ネット社会では「自己責任否定論」が広がっているようです。