政治の実権を握る「邪魔な女」を島流しに
「富子様の宿した子どもは、あの人が呪い殺したらしい……」
あの人とは、今参局のことである。今参局とは、義政の乳母にあたり、将軍から信任が厚かったため、政治の実権を握っていた。そんな今参局と富子は普段から何かと対立していた。それだけに、そんな噂を聞きつけて、黙ってはいられるはずもない。
また、義政の母である日野重子も、今参局のことが気に食わなかった。富子にとって重子は「おじいちゃんの妹」、つまり、大叔母にあたる。
富子と重子の2人で、将軍に訴えたのだろう。今参局は義政によって、琵琶湖の沖島へと島流しにされてしまう。
将軍の義政にとって、乳母の今参局は、頼りになるかけがえない存在だった。だが、妻と母の両方から攻め立てられれば、かばうことも難しい。「呪い殺した」という噂も、無視できなかった。
今参局は「日本史で初めて切腹した女性」だった
富子と重子のタッグで追い出された今参局。そもそもの噂自体を流したのがこの2人だったともいわれているが、話はそれだけでは終わらない。なんと今参局が流罪地へ護送される途中に、刺客が送られているのだ。
将軍の義政には、優柔不断なところがあった。そんな息子の性格をもっとも知るのが、母の重子だ。義政の気が変わって、今参局を許すのを恐れて、重子が刺客を送ったとも言われている。なんともはや、義政が母・重子を恐れるはずである。まさしく重子も「怖いお母さん」だった。
だが、今参局もまたぶっ飛んだ女性だった。刺客にやられるくらいならば、と切腹して自ら命を絶ったのだ。
当時、女性が自害するときには刀で喉を突くことが多かったが、今参局は「武士の心」が宿っていたのかもしれない。今参局は「日本史で初めて切腹した女性」と言われている。
母の日野重子、妻の日野富子、そして自害した乳母の今参局とエネルギッシュな女性に囲まれたこともあってか、義政はどんどん政治から離れて、富子が幕政に影響力を持つようになる。
義政としては側室にでも癒しを求めたいところだが、富子は側室4人を追放したともいわれている。将軍に影響力を持ちうる女性はどんどん排除されることとなった。
そんな勢いがあるときは、物事がうまく回るものだ。1465年、富子はついに男の子を生んだ。義尚である。