源頼朝の弟・範頼とはどんな人物だったのか。作家の濱田浩一郎さんは「NHK大河ドラマでは、あまり印象に残らない人物として描かれていたが、義経と並んで平家討伐の功労者である。もっと評価されるべき人物だ」という――。
NHK大河ドラマで描かれた源範頼の最期
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」において、源頼朝の異母弟である源範頼(演・迫田孝也)が暗殺者・善児(演・梶原善)によって殺害された(第24回放送)。
その内容を簡潔に振り返ろう。建久4(1193)年6月、源頼朝が行った「富士の巻狩り」の際に、曾我祐成と曾我時致の兄弟が父親の仇である工藤祐経を討った(「曾我兄弟の仇討ち」)。その最中、範頼は、「頼朝が死亡した」との「誤報」を信じ、鎌倉を守るため(比企能員の甘言もあって)、頼朝の跡を襲おうと動いた。
しかし、頼朝は生きていた。頼朝は範頼の心を疑い、伊豆に配流。しばらくして、頼朝は娘・大姫の病死を範頼の呪詛と思い込み、梶原景時を呼んで範頼殺害を命じる。最終的には善児が範頼が刺殺するという筋書きであった。
話題を呼んだ豪族・上総介広常の殺害シーンは「流血の惨劇」「戦慄」といった感じであったが、範頼の殺害は淡々としていた。
源範頼は、源頼朝と義経という超有名兄弟に挟まれて、とても地味な存在である。
いや地味だけならば、まだ良いが、暗愚・愚将としての評価が専らであった。それはなぜなのか? そして本当に暗愚だったのか? 範頼の人物像を見ていきたい。
ちなみに、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」においては、範頼を愚将として描いておらず、涼やかで物わかりの良い人物として描いているように思う。逆に義経を好戦的で時に人(実兄の義円)を陥れる「悪人」に描いており、これまでの時代劇とは一味違う描写で興味深い。