源頼朝の弟・範頼とはどんな人物だったのか。作家の濱田浩一郎さんは「NHK大河ドラマでは、あまり印象に残らない人物として描かれていたが、義経と並んで平家討伐の功労者である。もっと評価されるべき人物だ」という――。
源範頼像(図版=横浜市金沢区 太寧寺所蔵)
源範頼像(図版=横浜市金沢区 太寧寺所蔵/PD-Art(PD-old-70)/Wikimedia Commons

NHK大河ドラマで描かれた源範頼の最期

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」において、源頼朝の異母弟である源範頼(演・迫田孝也)が暗殺者・善児(演・梶原善)によって殺害された(第24回放送)。

その内容を簡潔に振り返ろう。建久4(1193)年6月、源頼朝が行った「富士の巻狩り」の際に、曾我祐成すけなりと曾我時致ときむねの兄弟が父親の仇である工藤祐経すえつねを討った(「曾我兄弟の仇討ち」)。その最中、範頼は、「頼朝が死亡した」との「誤報」を信じ、鎌倉を守るため(比企能員ひきよしかずの甘言もあって)、頼朝の跡を襲おうと動いた。

しかし、頼朝は生きていた。頼朝は範頼の心を疑い、伊豆に配流。しばらくして、頼朝は娘・大姫の病死を範頼の呪詛じゅそと思い込み、梶原景時を呼んで範頼殺害を命じる。最終的には善児が範頼が刺殺するという筋書きであった。

話題を呼んだ豪族・上総介広常の殺害シーンは「流血の惨劇」「戦慄せんりつ」といった感じであったが、範頼の殺害は淡々としていた。

源範頼は、源頼朝と義経という超有名兄弟に挟まれて、とても地味な存在である。

いや地味だけならば、まだ良いが、暗愚・愚将としての評価が専らであった。それはなぜなのか? そして本当に暗愚だったのか? 範頼の人物像を見ていきたい。

ちなみに、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」においては、範頼を愚将として描いておらず、涼やかで物わかりの良い人物として描いているように思う。逆に義経を好戦的で時に人(実兄の義円)を陥れる「悪人」に描いており、これまでの時代劇とは一味違う描写で興味深い。