人生の「嫌なこと」から逃げつづけた

なぜ僕は、このようなヒモ生活に至るようになったのでしょうか。

あたりまえのことですが、ほとんどの人にとってみればヒモは架空の生き物です。

ふみくんの手料理
ふみくんの手料理(写真=筆者提供)

マンガやドラマなど作り話で見かけることはあったとしても、そうそう周りにいるものではありません。ヒモであることを公言しているヒモも少ないので、見つけることも難しいと思います。

僕自身、好奇心から……またお説教の前フリとして……「なんでヒモになったの?」と周りからたずねられることも非常に多いです。が、正直なところわかりません。

小さいころからヒモになりたい願望を持っていたわけではないですし、「ヒモになって楽してやるぜ~!」と思ったこともありません。

振りかえって考えると、人生におけるさまざまな「嫌なこと」から逃げつづけた結果ヒモ生活に漂流していた。そう表現することが正しいように思います。

定刻に決まった場所に行くことがどうしてもできなかった

僕をヒモ生活にいざなった「嫌なこと」があります。

なにか明確なできごとがあったわけではないのですが、僕は幼いころからずっと「同じ場所に同じ時間に行くこと」に対してものすごい抵抗を感じて生きてきました。

ふみくんの手料理
相手のリクエストを聞き、栄養バランス、カロリー、相手の食の好み、前日に食べたものなどをすべて検討して毎食作っている(写真=筆者提供)

会社勤めこそしたことはありませんが、まったく働いてこなかったわけではありません。いまはライターのフリをしていますが、放送作家見習いをしていた時期もあります。

放送作家はひとつの番組にかかわると週に1回必ず定例会議があるのですが、その1回ですら僕にとっては「嫌なこと」でした。

会議は1週間のうちの2~3時間くらいなので会議自体に強いストレスを感じていたわけではありません。

会議が終わった瞬間、次の会議が定刻に予定されていることが僕にとっての「嫌なこと」でした。次回の会議が近づくにつれ、なぜ「心的拘束給」が発生しないのか疑問に思うくらいに気が重くなってしまうのです。

つまり、週1の定例会議に苛まれる時間は会議そのものが行われる2~3時間ではなく、僕にとっては1週間まるまるでもあるといえるのです。

1週間にひとつでも定刻に決まった場所に行かなくてはならない状況では、長期海外旅行にも出かけられません。

無尽蔵にお金があるわけではないので実際にはそんな頻繁に海外旅行ができるわけでもないのですが、僕のむこう1週間に楔めいたものが打ちこまれ、行動の選択肢が減ってしまうことにストレスを感じるのです。

そんな僕が会社勤めをできるはずもありません。運よく会社に入れたとしても2日もたなかったんじゃないかな? と考えています。

企業側だって、「社会人の基礎の基礎が無理なんです」なんて人間を雇いたいとは思わないでしょう。