英国王の代理人

そもそもオーストラリアという国は、今もヘソの緒が英国につながっている。アルバニージ新首相も、オーストラリア総督による認証式で就任した。総督は、元首であるオーストラリア国王の代理人、つまり英国王(現エリザベス女王)の代理人だ。

オーストラリアは、どちらかといえば旧英連邦のほうに逃げ込みやすい。安全保障では米国、英国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドの5カ国で機密情報を共有する、エシュロンでも知られる「ファイブ・アイズ」という枠組みがある。21年には英米豪3国の軍事同盟「AUKUS(オーカス)」が発足している。

英国から離れようとした時期もあった。1991年から96年まで首相だった労働党のポール・キーティング氏が「脱欧入亜」と盛んに言った頃だ。総督は英国に帰ってもらい、香港返還のように英国の手から離れてアジアの一員になるというビジョンだ。彼は非常に頭がいい人だったが、頭がよすぎて国民は途中で脱落した感じだった。

当時は日本がオーストラリアにとって貿易上は最も重要な国で、70年代〜80年代以来日本と非常に親密だった。80年代には日本企業がゴールドコースト、ケアンズなどの土地を買い占め、ゴルフ場やリゾートマンションなどの開発を進めた。

だが、白人移民を重視する「白豪主義」の人たちからの反発もあった。日本企業のせいで地価が高騰し、オーストラリア人が家を買えないと言われ、FIRB(外国投資審査委員会)という外国からの投資を監視・規制していく組織ができたくらいだ。

彼のあと、11年も首相を務めた自由党のジョン・ハワード氏は“のんきな父さん”みたいな人で、悪事を働かない代わりに首相として大した成果は出せなかった。日本の影は薄くなり、日本から進出したリゾート開発企業は次々に潰れ、ゴールドコーストには日本企業の“倒産銀座”ができたほどだ。

そんな中、ガラッと変わったのは、2007年に労働党のケビン・ラッド氏が首相になってからだ。彼は、彼から中国を取ったら何も残らないというほどの中国好きだ。中国語で演説するのを何度か聞いたけれど、中国語が非常にうまかった。その頃から中国との貿易が急増した。北部のダーウィン港は、中国企業に99年間貸与された。

人の移動も盛んになった。私は毎年ボンド大学の卒業式に参列しているが、中国人の学生が増えていることを実感している。また、オーストラリアには250万豪ドル(約2億4000万円)以上の移転可能な資産があれば、永住権の申請ができる投資家ビザもできたが、主に中国の富裕層向けだ。