そのことは、冷戦後の時代に進化したジャンルの一つであるヒーロー映画にも見て取ることができます。この時期に製作されたティム・バートン監督による『バットマン』(1989)や『バットマン リターンズ』(1992)などを観ると分かるように、こうしたスーパーヒーロー映画はまったく新しいジャンルを生み出したと言っても過言ではありません。

それまでのヒーロー映画は、カートゥーン(漫画)の延長にあり、単純な勧善懲悪の物語でした。1960年代に製作されたバットマンのテレビシリーズは子ども向けのくだらないお笑いストーリーだったことを記憶しています。それとは異なり、90年代のバットマンは非常に人間的なキャラクターだったのです。

この時代の製作者たちは、主人公を完全な善人やヒーローではない──時にトラウマや喪失感を抱えた──キャラクターとして描き、反対に悪役もまた何らかの事情を抱えた複雑な人物として描くようになりました。これも冷戦の終結が可能にしたことだと思います。

トム・クルーズの大きな功績

トム・クルーズが体現した「スター像」の変化──シュルマン

トム・クルーズが、90年代を代表する映画スターであることは誰もが認めるところでしょう。しかし私は、彼はそれまでの映画スターとは少し異なる種類のスターだったと考えています。というのも、昔からハリウッドでは、スターと俳優との間には明確な区別のようなものが存在しています。スターというのは、どの作品でどの役を演じていても、本質的にはその人自身なのです。

ロッキー』においても『ランボー』においても、人々はロッキーやランボーという物語の中の主人公というよりも、シルベスター・スタローンを観に行く。それが映画スターです。古くは、ジョン・ウェインやクラーク・ゲイブルなどを思い浮かべてもよいでしょう。演じる人とキャラクターが半ば同一視されるのです。対照的に、俳優とされる人々は、時に同一人物が演じているとは気づかないほどに別のキャラクターになりきることができますし、それを求められます。

その意味で、トム・クルーズは俳優ではなく、あくまでスターです。とはいえ、彼はスタローンのようなスターとは何かが違います。確かにクルーズは、典型的な白人のイケメンでいつまでも若々しく、かつマッチョな肉体を持ちアクションシーンをこなします。『トップガン』(1986)や『ミッション:インポッシブル』はその代表的な例です。

トップガン
写真提供=PPS通信社
映画『トップガン』より