その描写は、ロドニー・キングの事件を念頭に置いたものだと評論家からは言われています。『許されざる者』の脚本は、単なる勧善懲悪の西部劇を現代に甦らせたのではなく、そうした複雑な道徳性を描き出したものでした。
描かれるアメリカの美徳と善良さ、幻想…
もちろん、伝統的な西部劇――たとえば『真昼の決闘』(1952)や『シェーン』(1953)なども、単純な脚本ばかりではありませんでしたし、複雑な道徳性を描いたという意味では『プラトーン』(1986)や『地獄の黙示録』(1979)などが挙げられます。とはいえ、西部劇というアメリカ人のアイデンティティとなるジャンルにおいて、それを行なったことに大きな意味があるでしょう。
そして、これはクリント・イーストウッドという、政治的には保守的であり、国民の多くから愛されている白人のスーパーヒーローが、アメリカについての耳の痛い事実を語ったということが重要でした。
『フォレスト・ガンプ 一期一会』(1994)もまた、アメリカそのものを描いた映画と言えます。主人公フォレスト・ガンプ(トム・ハンクス)は、知能指数は人より劣りますが善良で、何よりもとびぬけた俊足の持ち主です。
彼はその脚力を活かしてアメリカンフットボールの代表選手となり、ケネディ大統領と対面します。陸軍の兵士としてベトナム戦争にも派遣され、ひょんなことから卓球の代表選手としても活躍、ジョン・レノンと共演したり、ウォーターゲート事件の目撃者となったりするのです。
戦後のアメリカ社会には様々な難局がありましたが、そうした中で無邪気に、ひたむきに生きるフォレスト・ガンプは、まさにアメリカの美徳と善良さの象徴であるのです。この偉大で純粋なアメリカ人の姿は、アメリカ人自身が自らの姿を投影したものでしょう。
彼が知能的に問題を抱えていることは、そうしたアメリカ人の不完全さを表わしたものであり、良くも悪くも彼の姿はアメリカ人の幻想であるように思えます。