しかし、彼はアンチ・ヒーローとして多くの観客の目に「かっこいい」ものとして映りました。実際、この映画によってそれまでの働き方は陳腐化して時代遅れなものだ、これからは投資家の時代だという見方が広まることになりました。
彼の行ないはもちろん唾棄すべきものですが「悪人」ではないという感覚は、当時の多くの人が持っていたと思います。
マドンナは『マテリアル・ガール』において、「物質の世界(material world)」に生きる私は、お金を持っている男だけが欲しいんだと歌いますが、それもまたこの頃の時世を表わした皮肉です。
欲は人間の推進力…80年代が映し出すアメリカの本質
ゲッコーは「欲望は善だ」と言います。欲は人間の推進力であり、「株式会社USAを立て直す力」だと言うのです。これはある意味で自由市場における真実です。
そして、このことはアメリカの本質でもあります。アメリカ人は、私たちが他のどの国の人たちよりも優れている、ということを無邪気に信じています。私たちは道徳的であり、本当にいいことをしたいだけなんだ、というわけです。
しかし当たり前ですが、誰にとっての正義も、他のすべての人に当てはまる普遍的なものでは決してありえません。どの国でも、良い動機と悪い動機はないまぜになったものです。しかし、アメリカは常に自分たちには良い動機しかないんだと自らに言い聞かせて、それを信じているのです。
この映画が、小さなアート系のプロダクションから生まれたものではないことは非常に示唆的です。配給元である大手の映画会社20世紀フォックスは、この映画が発表される少し前にメディア王ルパート・マードック率いるニューズ・コーポレーションに買収されていたのですから。
この価値観は90年代、そして2000年代へと持ち越されることになります。21世紀のデジタル革命で面白いのは、ジャック・ドーシー(Twitter)やマーク・ザッカーバーグ(Facebook/Meta)ら起業家たちの持つユートピア主義的な思想です。彼らにとっては、起業してお金を稼ぐことと、世の中を善くすることは無邪気な形でつながっています。その結果生まれたのが、プラットフォームという〈帝国〉でした。
そうしたアメリカの資本主義社会が行き着く先は現在進行形で分かりませんが、その出発点は間違いなくここにあるのです。