しかし、若者はゴードン・ゲッコーに憧れ、ウォール街を目指しました。彼はむしろロールモデルとなり、現実に影響を与えたのです。ヤッピーたちは「強欲は善である」という価値観を身につけ、個人が富を追求することは社会の生産性を向上させる善なる行ないであるという考え方を持ちました。その後の『マネー・ゲーム』(2000)や『ウルフ・オブ・ウォールストリート』(2013)の主人公たちも皆、そうした人々でした。
映画『卒業白書』の物質的な豊かさを夢見る若者たち
彼らによってレーガンの経済政策──市場への規制を最小限にすることこそがアメリカ経済のダイナミズムをもたらすという考え方は支持され、今日へとつながっているのです。
もう一つの作品、トム・クルーズ主演の『卒業白書』はいわゆる青春コメディですが、バド・フォックスのようなヤッピーたちの若き日を描いたものと見ることができます。
主人公ジョエルは、成績はいまいちですが、一流大学への進学を夢見る高校3年生です。彼は「未来の起業家研究」の授業を取っており、資本主義社会での成功を目指す野心を持っています。
両親が旅行に出かけている間に留守番をしていた彼は、友達の誘いに乗ってラナという娼婦を家に呼び入れます。それがきっかけでラナと客引きのグイドとの間のトラブルに巻き込まれてしまい、父のポルシェに勝手に乗って逃げることになります。そのカーチェイスの末に彼が言うセリフが「ポルシェに代わるものなし(Porsche. There is no substitute.)」というものでした。
これはアメリカ人ならみんな知っていますが、ポルシェのCMのコピーなのです。こうしたセリフもまた彼らの世代の物質主義への称賛の表われと見ることができるでしょう。
『卒業白書』の結末はコミカルで皮肉の利いたものとなっています。ジョエルは、親が留守中の家を「売春パーティ」の会場としてしまいます。その客の中に名門プリンストン大学の面接官がいて、ジョエルの才覚にほれ込み、そのことで彼はプリンストンへの切符を手にするのです。
私にはこれが、物質主義的な直感や才覚が人生の成功に直結するということを遠まわしに揶揄しているように思えます。
自分の身は自分で守らなければならない
アンチ・ヒーローとしてのゴードン・ゲッコー──アンダーセン
『ウォール街』は、80年代アメリカの新しい価値観の変化を完璧に捉えた映画として素晴らしいものです。
1930年代からのニューディール政策によって福祉国家を築いてきたアメリカは巨額の財政赤字に悩んでいました。レーガンの革命はそれをひっくり返し、小さな政府へと方針転換して、自分の身は自分で守らなければならない、すなわち個人がお金を稼ぐことこそ重要であるというパラダイムシフトを起こしたのです。
主人公バド・フォックスに投資家としての振舞いを教え、そしてインサイダー取引へと引きずり込むゴードン・ゲッコーはあくまで「悪役」です。