世界では、マスクだけでなくワクチン接種に対しても冷静な対応がされるようになっています。米国ではワクチン3回目接種は国民の30%ほどで低迷しています。海外ではそれぞれの国民が、マスクにもワクチンにも見切りをつけて不要に思って行動しているということです。

こういったことも知っているはずなのに、なぜ日本人はいつまでもマスクをつけているのでしょう。

米国以上に問題のない日本では、昨年からすでにコロナは季節性・土着性に変化しています。必要な時以外は調べなければ存在もわからないので「コロナは消えて」います。

それにもかかわらず、私たち日本人はマスクをし続けています。コロナの恐怖と不安をあおり、様々な制限を加えてきた「コロナ専門家」が、何もせず無責任にフェードアウトし、私たちを放置してきたのが一因でしょう。

同時に、自分で考えて責任を引き受けて行動することを避ける国民性も大きく関係しているように思います。自分で考えず、言われないとやらない。一度言われると考えないで永遠にやりつづける――。マスク着用はまさに、責任回避行動の典型例です。

商店街で観光を楽しむ女性
写真=iStock.com/monzenmachi
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感染対策ではなく、責任回避のための道具になった

それを証明するような会話も経験しています。「テレビでマスク着用は不要です、と言ってくれたらスッキリするのに」とおっしゃる患者さんがいました。

「マスクをしないで自分が陽性になったら、責任を問われるかもしれない。形だけでもマスクをしないと」「ワクチンを打たないで陽性になったら責任問題。打って陽性なら免責」と話してくれた患者さんの声はとても印象的です。

マスクはワクチン同様に、まさに責任回避のための道具に成り下がっていると思います。

人間は本来、自由な存在です。本人の体のことは本人が自由に選択して暮らしていくべきだと思います。けれども、日本では「指導者に責任を持ってもらって、言われたことを守り、周りの目を気にして生きていく」という風潮が強すぎるように思います。

以前、学校の先生をなさっている患者さんがこんなことを話していました。「熱中症の危険性はわかります。でもマスクを外したり、ワクチンを打たない学校でクラスターが起きたりすると世間に騒がれます。学校はそれを嫌がります。だから、どうしても横並びになっちゃうんです」と。

私は「自分や生徒の自由や命の安全を最優先に自分たちで考えます、と宣言すべきです。たとえ子供がこれまでの習慣からマスクをつけたいといっても、みんなの体のために外すことになったんだよ、と積極的に伝えるべき」と応えました。世間体より重要なことです。

私は15年ほど前にも残念ながら同様の経験をしました。アナフィラキシーショック治療薬のエピペンや、AED(自動体外式除細動器)を学校に導入指導に救急医として参加した時です。

当時、学校関係者は「命に関わる作業は自分達の仕事ではないから私たちはやらない。時間かかっても医療者を呼ぶ」とはっきり申し渡されました。生徒の安全よりも横並びの責任回避現象でした。

個人のレベルでも、組織のレベルでも同じことが、入れ子模様になっています。

「相手を感染させないため」のマスクが、「感染しないため」のマスクとなり、最終的には自身の責任を回避するためのマスクになってしまったと言えるでしょう。